【ロールモデル】
ロールモデルとは
白城の里 旧大内邸生活文化研究会 会長
八女市立花町。自然豊かな里山にある『白城の里 旧大内邸』は、明治から昭和初期にかけて日中韓友好親善や普通選挙法の実現に奮闘した大内暢三(ちょうぞう)の生家。明治17年頃の建築と伝えられ、この地域には珍しい町屋造りの建築様式で大変趣きがある。現在は文化交流・地域振興の施設として一般公開されているが、十数年ほど前までは廃屋同様に老朽化が進んでいた。「立花町の財産としてどうしても残したい」と、熱い思いで保存会を立ち上げたのが、田中真木さんだった。
旧八女市で生まれた田中さんは、父親が大内邸の主と親友だったこともあり、幼少の頃から馴染みがあった。相手を思いやり、助け合う彼らの友情は、幼心にも強く印象が残るほど『美しく、素晴らしい』ものだったと当時を振り返る。縁あって、結婚後は立花町へ。時代を経て、住む人がいなくなり、建物の痛みも進むばかりだった。「この家が廃れてしまうと、地域有数の歴史的建造物の痕跡もなくなってしまう。公共の建物として役立てることができないだろうか」と1998年に手探りながら保存会を立ち上げた。署名運動、瓦一枚運動(募金活動)と町への陳情を重ねた結果、2000年に旧大内邸は町に寄付され、文化財として保存が決定した。「最初は誰にも話を聞いてもらえず、いくつもの苦労も経験しましたが、やっと残せることになりました。今思えば、何のしがらみもない主婦だからできたのかもしれません。私、自分の信じることを真っ直ぐ進むことしかできない性格みたいです」と微笑む。
1年間の修復工事を終えて、2001年『白城の里 旧大内邸』がオープン。田中さんが代表を務める旧大内邸生活文化研究会が、音楽会や講演会などを定期的に催すうちに、人が気軽に集える場所となっていった。周りには食事処もなく、訪れた方たちに 「あるものでよければ」という気持ちで簡単な料理を振る舞っていたら、「母を連れてきたい」、「今度は友達と一緒に食べにきたい」、「この料理の作り方を教えてほしい」という声が相次いだ。そこで、金・土・日の週3日間だけ予約制で『母の膳』を提供することになった。農家のスタッフが朝採ってきた旬の野菜や山菜を見て献立が決まる。80年もののぬか床に漬けたぬか漬け、できたて熱々の手作り豆腐、こんにゃく、煮物、白和え等々、手間ひまかけた品々がテーブルに美しく並ぶ。田中さんの言う“田舎ではごく当たり前の素朴な家庭料理”は食べた人に感動を与え、人づてにその評判が広がった。
『素材以上の味にしない』。料理の基本にあるのは、父親からのこの言葉。長女だった田中さんは、病弱な母親の代わりに小学校へ上がる前から家族の食事や酒肴を用意していたという。美食家だった父にしっかり仕込まれ、味付けは、醤油・塩・酢・酒と昆布やいりこ等のだし。砂糖は使わず、ふっくらと薄味で炊く。「一度も言葉で褒めなかった父が、美味しそう食べていた姿が心に残っています」。大所帯を切り盛りしてきた経験の延長に、今の活動があると話す田中さん。隅々まで掃除が行き届いたお屋敷には季節の草花が楚々と活けられ、古い着物の布を張った屏風や手作りのテーブルクロスなどが自然と馴染む。丁寧なしつらえにも「暮らしの豊かさ」を感じる。「特別なことは何もない。背伸びせずに、ただ私たちにできることを日々やっているだけです。ここに来てくださった方が“とてもいい時間だった”と感じてくだされば、それだけでうれしいです」。気さくで穏やかな語り口と芯の通った生き方はとても魅力的で、「また田中さんに会いたい」と誰もが思うに違いない。「昔の日本の暮らしには、学ぶことがたくさん。いい物を大切にして、心豊かに生きることを次の世代にも伝えていきたいです」。
(2013年12月取材)
「手間ひまかけて何かをするのが大好きです」と語る田中さん。実務が趣味のようなもので、庭仕事から料理、ふすまや障子替え、簡単な大工仕事のほかに、自分の着る服は、古着を解いて作ってしまうという。旧大内邸も田中さんの手仕事がいかされ、その佇まいを保ち続けている。そこから流れのままに料理教室やお裁縫の会などが発足し、参加者と一緒に楽しいひとときを過ごしている。
旧八女市生まれ。結婚後、旧立花町へ。専業主婦として大所帯を支える。1998年、旧大内邸の保存会を立ち上げ、署名・募金運動を始める。2000年、旧大内邸が町に寄付され、町の有形文化財としての保存が決定。2001年、修復工事を終え『白城の里 旧大内邸』オープン。会長を務める旧大内邸生活文化研究会で金・土・日のみ料理を提供する。おもてなし家庭料理「母の膳」が評判となり、全国からファンが訪れている。
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【た】 【NPO・ボランティア】