【ロールモデル】
ロールモデルとは
NPO法人アジアン・エイジング・ビジネスセンター 上席研究員
1976年に福岡初のタウン情報誌として創刊され、若者を中心に一世を風靡した「シティ情報ふくおか」。同誌の創刊メンバーであり、のちに編集長・発行人を務めた佐々木喜美代さん。その後は九州大学大学院で都市社会学を学び、福岡アジア都市研究所の研究員を経て、福岡市の広報課長に就任。民間企業・学校・官公庁の垣根を軽々と飛び越え、一貫して福岡の街に関わってきた。
福岡市生まれの佐々木さんが雑誌づくりの仕事を志したのは、高校生のとき。大学進学後、企画や編集に特に魅力を感じるファッション誌を毎号熟読し、校正の通信教育まで受けて、その出版社の入社試験に臨んだが、採用には至らなかった。
卒業後、地元の印刷会社に入社。1年後に思わぬ転機が訪れる。会社がタウン情報誌を作ることになり、メンバーに選ばれたのだ。1976年に3人で「シティ情報ふくおか」を創刊。店や人を取材して原稿を書き、広告営業にかけ回った。「ちょうど福岡の街が大きく動く時期だったから、すごくおもしろくて。1976年に天神コアと地下街ができて、89年にイムズとソラリア、96年にキャナルシティ…」と街の歩みがすらすらと出てくる。雑誌づくりを通して福岡に精通するようになると、「人が何か始めるとき、あの人に相談しようと思われる存在になりたい」と考えるようになった。実際に佐々木さんのもとには「福岡の人の傾向を知りたい」「イベントをしたい」などと相談に訪れる人がどんどん増えたという。「街を動かす人たちと遊び、考え、人を紹介して、毎日が楽しかった」と振り返る。
2000年に退社して、九州大学大学院へ入学。都市社会学を専攻し、福岡都市文化史をテーマに博士論文を書き上げた。「もともと何か学びたかった。本や文献を読みあさり、アジアの留学生などそれまで接点のなかった人たちと出会い、大いに刺激を受けました」。在学中、福岡市の外郭団体・福岡アジア都市研究所の主任研究員として、コミュニティ調査も担当した。
2005年には福岡市市長室広報課の課長に就任。経験をかわれて、異例の抜擢だった。5年の任期中、ホームページと広報紙をより魅力的にリニューアルするなど、福岡市の発信力を高めた。
そして、今の肩書は「NPO法人アジアン・エイジング・ビジネスセンター上席研究員」。アジア諸国の共通課題である高齢化問題の解決に寄与するため、福岡市を拠点に調査研究や教育、ビジネス開発、政策提言を行う法人で、研究員を務める。「時代はおひとりさまからお互いさまへ。日本では生涯独身率が上がり、ひとり暮らしの高齢者が増えていく中で、カギとなるのはお互いさまのシステムを確立すること。人をはじめとする地域の資源を見つけ、活かし、つなげていきたい」と語る。
福岡の街をフィールドに、順調なキャリアを積み上げてきたようにみえる。だが本人は「大学院に入ったのは自分の意志だけど、いつもタイミングよく声をかけてもらったおかげで今がある」という。その秘訣は、「人に会ったとき、また会いたいと思われるかどうかかな。私はこれまで出会った人の要望に応えてくることで、つながり続けてきた。そして、自分の活動もいつしか結びついてきた」と明かす。そしてもう一つ「タイミングを逃さないことも大切。私は大学院で学びたいと先生に連絡したら、2日後が申込の締切り。急いで書類をそろえ提出しました。よく言うでしょ、チャンスの神様には前髪しかないって」。
高齢化問題に携わるようになったことで「改めて幸せって何だろうと考える。一緒にご飯を食べ、飲める相手がいること。そして物事を考えられる生活が、私にとって幸せですね」。佐々木さんはいつでも自然体でシンプルに今を楽しんでいる。 (2014年1月取材)
「シティ情報ふくおか」を創刊したとき、舞台やアート、イベント、読者投稿ページなどを担当していた佐々木さん。趣味は「人が表現するものを見ること」という。「芝居からダンス、アート、映画、ファッション、雑誌まで幅広いジャンルですね。人が表現するものに惹かれます」。
福岡市生まれ。福岡大学人文学部文化学科卒業後、1975年に秀巧社印刷株式会社入社。翌年、株式会社プランニング秀巧社へ出向し、「シティ情報ふくおか」創刊に携わる。編集長・発行人を経て、2000年退社。2001年九州大学大学院比較社会文化学府日本社会文化専攻に入学、修士・博士課程を修了。福岡アジア都市研究所主任研究員、福岡市市長室広報課長を経て、2012年よりNPO法人アジアン・エイジング・ビジネスセンター上席研究員。
キーワード
【さ】 【国際・まちづくり】