【ロールモデル】
ロールモデルとは
株式会社 電通九州 メディア局メディア管理部長
「出会う人やチャンスに恵まれてきました」。やわらかい笑顔を絶やさずに語る吉留景子さん。これまで大きなプロジェクトをいくつも経験し、電通九州では初の女性部長就任など、男性と肩を並べ重責を担ってきたが、仕事姿勢は社会人になった当初から一貫して変っていないという。
男女雇用機会均等法の施行前で、まだ四年制大卒女性採用が少なかった1979年。総合職として入社したのが東京に本社を置く全国展開の百貨店。当時としては、珍しく女性活躍機会の与えられている職場だった。海外と日本をつなぐ仕事を希望していた吉留さんは、百貨店のバイヤーならば、日本の生活や文化を豊かにする一端を担えるかもしれないと思っていた。
配属された渋谷店の売り場で、まず、新人の自分にできることとして、販売台を綺麗に整えることを始め、商品知識をつけるために毎朝誰よりも早く出社し、商品ノートを作った。その後、それは誰からも重宝されるようになった。地道で前向きな努力が評価され、渋谷店に専門館を2棟オープンさせる為の大きなプロジェクト推進部署へ異動、マーケティングが主業務となった。「バイヤーになる道につながるか不安でしたが、あまり分野を決めこまないでトライしようと思いました」。現場の第一線でマーケティングを学ぶチャンスととらえ、がむしゃらに取り組んだ日々がキャリアを積んだ。そして1990年の33歳の時に、当時、全国30店舗、社員数1万人の企業で、初の本部女性課長に就任した。
百貨店業界を代表するマーケッターへと成長し講演等もこなしつつ、本部課長として充実した日々を送っていた。そんな時、鹿児島住いの母が倒れ、看病が必要となる。休暇を使い、東京から往復する日々。志半ばではあったが“このまま離れていて、親に何かあったら一生後悔する”そう思い、1995年退職を決意し看病に専念した。
その後、マーケティングを本業とする電通九州の中途採用公募が、電通分社化に伴いあることを知り、38歳で応募した。1150人受験、18人採用された中で、女性は吉留さんただ一人。「変化を恐れずポジティブシンキング!変化はチャンス!成功の反対語は失敗では無い!チャレンジしないことだ!」とのスタンスと強い思いが、実家に近い福岡で働くことにつながった。前職で数多くの実績を残していたこともあり、入社早々、百貨店の担当に抜擢されたが、広告業界は未経験。分からないことは新入社員の気持ちで学ぶ一方、知識や経験やネットワークを全て生かしながら仕事に取り組んでいると、「百貨店業界に精通している広告業界の人」と社内外で頼りにされた。
転職2年後に仕事を通して、前職の百貨店の社長と会う機会があった。2か月後、その百貨店で初の女性店長が誕生。吉留さんの退職理由を知った社長が、“志半ばで辞めた女性先輩の後を引き継いでいる女性たちに、活躍のチャンスを与えたい”と新聞インタビューで語っていた。「私の退職が、後に続く女性に新たな『道』を作る機会になったのなら嬉しいですね」と笑顔で語る。
その後、かつて東京で手掛けていた生活雑貨専門店の福岡出店の時には、前職時代の上司からプロジェクトメンバーに指名される。大きな話題を集め、オープニングイベントは大成功を収めた。どの職場でも変わらない真摯な姿勢が、現在の仕事にもつながり、さらなる発展をもたらしたのだ。
2000年には、東京駐在立ち上げ責任者として電通九州初の女性部長に抜擢。九州の企業の全国展開やハリウッドスター起用での全国広告キャンペーンを推進。2003年度には女性営業部長として電通東京本社出向も経験。九州に戻った後、鹿児島支社次長時代は、鹿児島大学焼酎学講座立上げ、「薩摩焼酎」の認証ロゴマーク開発と上海他での立上げPR等を推進、その後の福岡本社では、アジア事業推進など多様な場所で数多くの成果を上げてきた。仕事の規模も責任も大きくなる中、重圧とどう向き合っているのか尋ねたら、「“できない”と考えたことは無い。どんなに難しく思えても“できる”ことを前提に、知恵を絞り、一つずつ積み重ねていくのです。“どこに居るか”ではなく、自分が置かれた環境の中でベストを尽くしていると、やがてそれが信頼や結果へとつながります」と力強く答えた。
吉留さん自身、母の看病など大きな転機に関わる体験から、女性にこうアドバイスをする。「女性は環境の変化に伴う影響が大きく、守りに入ることも多い。異動や未経験の仕事は成長のチャンス!柔軟性と度胸と大きな視野を持ち、今いるポジションで自分らしく輝いてステップアップして欲しいですね」。
人とのつながりを大切にしながら、仕事にひたむきに向き合ってきた吉留さん。女性にエールを送るその優しい笑顔には、すがすがしい空気が満ちていた。
(2013年10月取材)
吉留さんが、自分を振り返る機会として大切にしているのが、海外旅行と俳句だ。これまでの渡航歴は出張含め40回。12カ国のべ70都市を訪れた。旅に出ると日本の魅力や“新たな自分”を発見出来るという。街を歩きながら移りゆく季節を俳句にすることも多い。「俳句は、言いたいことを17文字に凝縮するので、マーケティングのキーワード出しや広告のコピーライティングの訓練等にもなるんです」。これまで俳句仲間と共に2冊の俳句集も完成させた。
鹿児島県指宿市出身。1979年、西武百貨店入社。販売計画部を経て、商品開発部在任時の1990年本部初女性課長就任。営業政策部を経て1995年3月、母の看病のため退職。同年8月、電通分社化に伴う電通九州の中途採用公募に応募し入社。1150人受験中、女性はただ一人採用。2000年には営業局 東京駐在部長として電通九州初の女性部長就任。電通東京本社への女性営業部長として出向、鹿児島支社 支社次長、福岡本社 営業開発部長、アジア事業部長を経て、2012年 福岡本社 メディア局 メディア管理部長就任。その他2007年~2010年、鹿児島大学大学院農学部焼酎学講座 非常勤講師など。
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