【ロールモデル】
ロールモデルとは
そうだレディースクリニック 院長
レディースクリニックの院長として、日々患者と向き合う荘田朋子さん。一方で、子どもと社会との関わりを考える多様な活動にも参加している。「こうして自分なりにバランスを取っているんですよ」と気負わず話す荘田さんの歩みと思いとは…。
父が産婦人科医という家庭に生まれ育った荘田さんは、自然に医師を志して熊本大学へ進学。女性は1割にも満たない環境で学び、卒業時には「女性の強い味方になりたい」と、父と同じ産婦人科の道を選んだ。医師として働き出して3年目に結婚。翌年28歳で男の子を出産したのを機に、仕事を辞めた。迷いはなかったのかと問うと、「子どもが小さいときは自分で育てたいと思っていたんです。仕事はいつか復帰すればいいという気持ちでした」と打ち明ける。
間もなく夫の転勤に伴い、住み慣れた熊本から福岡の飯塚へ。女の子を出産後、長男が通い始めた幼稚園の教育に違和感を抱いたという。「例えば、お面を作るとき、先生が用意した顔に目鼻口のパーツを並べるだけ。子どもの個性が全然ない。でも、見栄えがいいから、親はよくできたねって喜ぶの。ほかにも子どもを尊重していないと感じることが多々あったんです」。結局、納得のいく保育を実践する園へ移り、心豊かに園生活を送った。
もう一つ、子育て中の荘田さんに多大な影響をもたらしたものがある。「子ども劇場に出合ったおかげで、私の視野や行動範囲が大きく広がりました」と声を弾ませる。子ども劇場とは、文化芸術や遊びの体験を通じて、子どもと大人が育ち合える場を作る活動。1966年に福岡の市民運動に端を発し、今や47都道府県600を超える地域で展開されている。荘田さんは、運営委員として精力的に関わった。さらに「飯塚子どものためのドラマスクール」にも立ち上げから18年もの間、携わっている。「演劇の力って、すごいんですよ。ここには台本がなく、子どもたちの心の中にあるものを表現しながら、みんなで話を創り上げていく。人から表現が生まれる瞬間は素晴らしい。引っ込み思案だった子が変わり、新しい自分に出会う瞬間に立ち会うと、心から感動する」という。そして「私は優等生だったけど、内面を表現できない子だった。演劇を知り、自分を解放できた気がします。表現できない辛さを知っているからこそ、表現できる喜びがわかる」とも。ほかにも、子どもとメディアの関係を提案するNPO、子ども専用の電話相談に取り組むNPOなど、様々な団体にも名を連ねる。共通する軸は、子どもの今と未来のために活動していることだ。
上の子が4歳になると、外来担当の非常勤医師として復職。12年間は非常勤を続け、半日は仕事、半日は社会活動やPTAに力を注いだ。「私には社会活動の時間が必要でした。フルタイムで働いていたとき、魂が枯れ、精神的に参ったから」。
そうして45歳のとき、クリニックを開業した。「私は患者さんの話をしっかり聞いて、こちらもきちんと説明したいから、診察に時間がかかるんです。大病院だと、隣の先生のカルテがたくさん積み上がるのに、私はゆっくりで…。今は自分のやり方を貫けるのがいいですね。女性の辛さや悩みに耳を傾け、治療することでラクになりましたと言われるのがやりがい」という。また開業時から、地元の高校で性教育も担当している。「望まれない妊娠を防ぎたい。もし高校生で妊娠したら、産むなら退学、産まないなら中絶。どちらにしても女性はものすごく大変です。男子学生に話すんですよ。『想像して! 避妊せずにセックスすると、女の子は次の生理が来るまで妊娠してるかもとずーっと不安なの。避妊しないセックスは暴力だ』と」。
医師、妻、母親、地域人、NPO役員…といくつもの顔を持ち、自らのバランスを保ってきた荘田さん。「最終的に自分を活かせる生き方を見つけられるといいですよね。仕事や社会活動でも、家庭のことでも何でもいい。一生懸命やっていると、最中にはわからないけれど、出会うべきものに出会い、起こるべきことが起こると実感しています」。自分らしく生きるために、誰もがもっと貪欲で、もっと自由でいいのだと改めて気付かされた。 (2013年9月取材)
ふたりの子どもは社会人になり、同じ産婦人科医で地域医療に取り組む夫は単身赴任中。荘田さんは医師とNPO活動を続けながら、認知症の母に会うために毎週、熊本の実家に帰っている。さらに、週2日は習い事もしているというからかなりタフだ。「趣味のひとつは、20年ほど続けている篠笛。人に誘われて始めたんだけど、そういえば小さいときから笛にとっても憧れてたなと思って。一応、名取なんですよ。もうひとつは合唱団で、宗教音楽ばかり歌ってるの」と微笑む。全てをひっくるめて「バランスを取っている」というからお見事だ。
熊本県生まれ。熊本大学を卒業後、産婦人科医として病院に勤務。27歳で結婚し、妊娠を機に退職。2児を出産後、非常勤として病院に復帰。2001年、JR新飯塚駅前に「そうだレディースクリニック」を開業。NPO法人「子どもとメディア」、NPO法人「チャイルドラインもしもしキモチ」、NPO「こどもと文化のひろば わいわいキッズいいづか(旧飯塚こども劇場)」などの役員も務め、地元の高校で性教育の講演も行う。
キーワード
【さ】 【NPO・ボランティア】 【研究・専門職】 【子育て支援】