【ロールモデル】
ロールモデルとは
福岡県更生保護女性連盟 会長
「子ども達、一人ひとりがとても可愛くて」と温かい笑顔で語るのは、2010年に福岡県更生保護女性連盟(以下、県更女連)の会長に就任した野田フミコさんだ。
県更女連は刑務所や少年院を出た人の社会復帰の手助けや更生保護施設への慰問活動等、女性の立場から青少年の立ち直り支援、子育て支援を行なっている更生保護ボランティア団体。2012年には、公衆の利益に尽くした人に贈られる藍綬褒章(らんじゅほうしょう)を受章。専業主婦として、更生保護活動に携わってきた28年の道のりとは―。
短大を卒業後すぐに結婚。2人の子どもに恵まれ、専業主婦としてPTAや地域活動に積極的に参加していた。校区婦人会長を務め、任期が終わる1985年に更生保護婦人会への加入を勧められ入会。当初は“自分が何か役に立てるのなら”という気持ちでいたものの、素敵な出会いや一人ひとりが人として尊重される社会を目標とする活動理念に共感し、大きな魅力を感じるようになった。
同連盟では、少年院・少女苑などを訪れ、季節の行事やイベントを通して支援活動を行っている。夏には40枚の浴衣を縫い、着付けも行った。誕生会などで、「どうしてそんなに優しくしてくれるの?お母さんと呼んでもいい?」と涙を浮かべながら声かけてくる子もいるという。「育った環境に恵まれず、たまたま過ちを犯してしまった子が多く、素直でかわいい子ばかり。活動をさせてもらえて私自身も幸せ」。と優しい笑顔で語る。
県更女連の活動の他に野田さん自身は1995年から保護司(保護観察官と協力して生活環境の調整や保護観察に当たる民間のボランティア)も務めている。
活動は、自身の子どもへ対する思いに影響を及ぼした。「以前は、子どもを厳しくみていた。でも、活動をするにつれ我が子の長所に気付くようになり、健やかに育ってくれていたことに感謝の気持ちを持つようになりました」。
会長という立場ゆえ、色々なジャンルの会議に出席する機会も多い。しかし、野田さんは気負うことなく自然体で楽しみ、どんな人にも常に真っすぐ向き合っている。
ボランティアは、共に喜びを分かち合えるところも魅力の1つだ。「60、70、80代は今までの多くの経験を大いに活かせるボランティア適齢期だと会員にも伝えています。私は、一生ボランティアを続けていきたいです」。
会長として心がけていることは、会のメンバーや接する人の名前を覚えるということ。自分から歩み寄って、名前を呼びながら一人ずつ声をかけるように努めている。もう一つは、人の話に耳を傾けること。口を挟まず、まずは相手の話を聞く。その上でフォローが必要な時にはそっと手を差し伸べる。それは、ボランティア活動で子どもに接する時も同様だ。「叱らないのが信条。特に子どもはほめ続けると心を開いてくれる。だから私はいつもほめて愛情を注ぎ、急がず・焦らず・あきらめずに活動しています」。
少し疲れた時に、読むとすぐに元気になるのが「手紙」だ。『心のプレゼント』という名前をつけた箱の中には、これまでにもらった、たくさんの手紙が入っている。「パワーが欲しい時や、ふと寂しくなった時に読むと気持ちが落ち着きます。喜んでくれる人がいるのだから頑張らなくては!と原点に帰るんです。私の宝箱ですね」。時に目を潤ませながら子ども達の話をする野田さん。その大きな愛が、多くの人の心を支えている。
(2013年9月取材)
忙しい毎日を送る野田さんが大切にしている時間は、妹や子ども、そして孫と一緒にコンサートへ行くこと。若いグループから同世代の歌手、海外アーティストまでその年代やジャンルは幅広い。「コンサートの日が近くなったら、体力をつけるためにCDを聞きながら鏡の前で手をたたく練習をするんです。遊ばないと元気が出ません」。歌の合間に繰り広げられるトークも人柄が垣間見えて魅力だそうだ。
西南女学院短期大学を卒業後、結婚して2児の母となる。1973年恵泉幼稚園母の会 会長、1979年箱崎小学校PTA副会長、1983年~1985年箱崎校区婦人会長を務め、その後、更生保護女性会に入会する。1995年~現在まで保護司を務める傍ら、2010年6月に福岡県更生保護女性連盟の会長に就任。2012年4月には藍綬褒章(らんじゅほうしょう)を受章した。NPO法人福岡県就労支援事業者機構理事、更生保護法人九州地方更生保護協会評議員など。
キーワード
【な】 【NPO・ボランティア】