【ロールモデル】
ロールモデルとは
農事組合法人 下崎・長尾・鳥井原営農組合 事務局長
行橋市「下崎・長尾・鳥井原営農組合」の事務局長、村上すみえさんは、「生まれ育った地域の農業を活性化させたい」との想いで活動している。「若い人にも『農業が楽しい』と感じてもらい、後継者が育ってほしい。耕作放棄地が増えると復活に長い年月がかかってしまう。それは食生活の崩壊につながるでしょう」と力強く語る。
村上さんは、1994年に「入覚(にゅうがく)土地改良区」の職員に。「土地改良区」とは、農業の生産性を向上させるための農業関係者団体。分散した農用地を集め、地権者の同意を得て、区画の再形成と換地を行うことで農用地の集団化を主な事業として行う。
「たまたま地元で事務員の募集があり、家から近く土日は休めると勧められ、気軽な気持ちで勤め始めたら、とても責任ある仕事だったんです」と振り返る。1年の研修後、農家を回り区画整理について交渉する日々が始まった。「先祖から受け継いだ土地を守りたい」という思いが強い地権者らとの話し合いは難航することもしばしば。だが、5年、10年と持ち前の粘り強さで交渉を続けるうちに、ようやくゴールが見えてきた。
土地改良区事業の進展に伴い、1997年に「下崎・長尾・鳥井原営農組合」が発足。「営農組合」は、地域の農業の合理化、活性化のため、機械の共同購入や農作業の共同化を進めている。村上さんは2005年に営農組合の事務局長に就任した。「今度は『会計』と言われて承諾したんですが、実際に任されたのは『経営』。頼まれると、断れずに…」と、苦笑い。長年、土地改良区の仕事に携わり、該当地区の諸事情を把握していたため、適任と思われたようだ。
営農組合では菜種を栽培し、菜種油を商品化し販売していたが、売り上げが伸び悩んでいた。当初の菜種油は、昔ながらの製法で作られており、色も黒っぽく菜種の匂いが強かった。プロジェクトを組み、消費者が求めるマイルドな油へと改良を重ね、地元の祭りでコロッケをふるまうなど、奮闘の日々は続いた。やがて「純国産の菜種油が行橋にあることを、もっと多くの人々に知ってもらいたい」と、感じるように。そして、県と京築地域の市町村とで主催するイベント「京築フェスタ」に参加した。「無駄ではないかという声もある中で、協力してくれる方々の存在がありがたかった」。成果は次第に現れた。他市でのイベントに誘われることが多くなり、次第に売り上げも伸びていった。
どんな難題にも常に明るく向き合ってきた村上さんに、最大の不幸が訪れたのは2008年のこと。夫が10万人に1人という難病を患い、余命1年の宣告を受けたのだ。失意のどん底を味わい、生きる希望を失いかけた。病状が悪化する夫の車椅子を押しながら、「一緒に死んでしまおうか」と思ったことも。だが、脳裏に家族や仕事仲間の顔が浮かび、我に返った。
なるべく夫と過ごす時間を持ちたいと家庭療養を選択し、デイサービスを利用しながら仕事の都合をつけた。周囲の協力を得て、夫を車椅子でイベント会場に連れて行くこともあった。夫を見送るまでの半年間は、入院先に寝泊まりしながら仕事をした。闘病生活は2年に及んだが、その間も事務局長の職責も果たした。「この仕事が大好きだから。どんな壁も乗り越えなくては」。
営農組合の事務局長を務める女性は全国的にも数少ない。課題の一つに「男女の境を取り除く」ことを揚げた。「農業は、男性女性の両方がいないと成り立たない。営農組合も女性部が果たす役割は大きいと感じています」。地域の男性に意見を聞いてもらうのはなかなか難しいが、必要だと思えば粘り強く問いかける。「あきらめずに頑張れば、どこかに光が見えてくるから」。
最も大事に考えているのは「人と人とのつながり」。一面に広がる菜の花畑のように、村上さんの活動の成果は、今後も広がりを見せていくに違いない。
(2013年6月取材)
趣味は、白いシルクを好きな色に染めて作るアートフラワー。十数年作ってきたが、ここのところ忙しく、ゆっくり作る時間がないそう。「娘が結婚する時は、アートフラワーでブーケを作ってあげたい」と優しい笑顔を見せる。以前から抱いていた夢は、吉野のしだれ桜を見に行って、アートフラワーで再現することだそう。
行橋市出身。高校卒業後、㈱安川電機に就職。21歳で結婚後、子育てのため一度退職するが、再び同社にパートとして勤務。1994年、「入覚土地改良区」発足当初より職員として勤務。並行して2005年からは農事組合法人 下崎・長尾・鳥井原営農組合の事務局長に。福岡県女性農村アドバイザー研究会会長(平成24年度)
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【ま】 【農林水産】