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築城 則子(ついきのりこ)さん  (2012年11月取材)

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遊生染織工房 主宰

小倉織を復元し、現代に生きる伝統を繋ぎ、世界へひろげる

 

能装束との出会いから染織の道へ

 ジャーナリストを目指して早稲田大学文学部に進学した築城さん。世阿弥の研究で本物の能舞台を観賞するうちに、能装束の美しさに惹かれ、自分も作りたいという気持ちに駆られていった。当時はまだ学生運動の名残があり、授業が休講になることもしばしば。大学3年の時、大学を中退し、染織の道へ転向することを決意した。

途絶えていた小倉織を復元

 草木染をし、紬を中心に織っていたが、日本をはじめ世界の織の研究のために訪ねた骨董店で、絹のような光沢を放ち滑らかな手触りをもつ縞の端切れに釘付けになった。それは小倉織の子ども用の袴地。小倉織は経糸(たていと)の本数が多く、緯糸(よこいと)がでない綿織の縞が特徴で、使い込むほどになめし皮のようになる。江戸期に豊前小倉藩の特産品として、小倉藩士の婦女子の専売制とされており、徳川家康の陣羽織に用いられるなど一大ブランドを築いていた。明治期には、霜降りの夏の男子学生服として使われていたが、社会の変化に伴い昭和初期に途絶えていた。
 その技法を持つ人も教えてくれる人もない中で、小倉織の復元に挑んだ。強い意志と自分を信じて試行錯誤を繰り返し、2年近くの歳月を要したが、1985年日本伝統工芸展で小倉織として認められた。

ひたすら最終形をイメージして染色から織までの工程を楽しむ

 しかし、復元したものの築城さんにはそれがまだ素朴で粗野に感じられ、満足のいくものではなかった。繊維が豊富にある現代にマッチさせようとさらに糸を細くし、本数を増やし、滑らかさと漸新さを追求していった。また、色には冴えを求めて草木染の染色にもこだわった。草木染めは自然相手のもの、しかも木綿はなかなか染まりにくい。繰り返し染色を行い、色を作り出す。手間と時間をかけグラデーションの糸が出来上がる。自然が相手でなかなか思うようにはいかないが、木の枝には花の精が閉じ込められていて、花の咲く前のものと終わったものでは色が違うそうだ。糸を染め上げると、次は2200本から2400本の糸を一本一本、ただひたすら最終形をイメージしながら、丹念に整径(デザイン)していく。途方もない根気と集中力が要求される。小倉織の命といえるこの工程には全神経を注ぎ込み、織りの工程に入る。完成するまでの工程を楽しんでいるそうだ。出来上がった作品は、美しさが際立ち、平織と思えない。まるでその縞が手でつかめるかのような立体感がある。著名な染織作家をして「平織でここまで表現できるんやったらええわ」と言わしめたほどである。

世阿弥を師として、そして小倉織を世界へ

 小倉織の師がいなかったから自由に突き進んできたが、自分の方向性を考える時は、能を飛躍的に高め大成させた世阿弥に問うという。世阿弥だったらどうするだろうと考え、時には著書の「風姿花伝」を読み返すこともあったそうだ。
 草木染、手織りにこだわってきたが、これではどう頑張っても1か月に1本のペースで点数が限られてしまう。汎用品として使ってほしいと思い、幅広の機械織りに着手し、風呂敷、カーテン、クッションなどの生活用品を手掛けるようになった。築城さんが担当するのは糸の選定とデザイン。2008年、2009年と生活関連産業ブランド育成事業の海外出品商品に選ばれ、ヨーロッパ各国やニューヨークとの取引が始まった。途絶えていた小倉織が日本だけではなく、経済産業省のジャパンブランドとしても世界に広がっていった。小倉織の技術継承者も築城さんから始まり、今では十数人に増えた。

伝統は各時代で最先端として捉えてきたもの

 運命の女神は前髪を掴むという諺がある。格別の思いを持って制作に取り組んでいると、次の目標に出合った時にどうすべきか、自ずと結論が出せるという。それに気付くためには常に五感を磨いておきなさい、と次代に続く人たちにメッセージを送る。
 染料を探しに入った里山で偶然に見つけた民家に工房に構えた。里山の自然に包まれた静寂の中整頓された空間に心地よいクラッシックのBGMが流れ、規則的に響く筬を打つ音。まるで能舞台を感じさせる工房だ。ここにも築城さんの感性が光る。伝統は決して古いものではなく各時代で最先端として捉えてきたものであるという築城さん。さらに斬新さと先進性を求めて技術に磨きをかけ伝統を繋ぐ。

                                                                                                      (2012年11月取材)

コラム

私のオフタイム

中毒といってもいいくらい演劇と映画が好き。忙しい時間の合間を縫って北九州芸術劇場や映画館のどちらにも月に最低1回は足を運ぶそうだ。ヨーロッパ映画が好みで最近のものではフランス映画の「最強の二人」がおすすめだとか。また月を見るのも好きで工房で月見をしているという。壁には月齢のカレンダーが掛けてあった。

プロフィール

北九州市生まれ。染織家。日本工芸会正会員。「遊生(ゆう)染織工房」主宰。1974年に染織を始める。1984年小倉織を復元。1994年小倉縮(ちぢみ)を復元。1995年遊生染織工房設立。1996年重要無形文化財保持者 北村武資氏による「羅」伝承者養成研修に選ばれ2年間手ほどきを受ける。1978年の西部工芸展の入賞を皮切りに、日本伝統工芸染織展、北九州市民文化賞などで数々受賞。2012年、福岡県文化賞・創造部門で受賞。

 

 

 

 


 

 

 

 

キーワード

【た】 【文化・芸術/伝統工芸】

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