【ロールモデル】
ロールモデルとは
有限会社 ゼムケンサービス 代表取締役
2011年、北九州市のワークライフバランス市長賞を受賞した有限会社ゼムケンサービスの代表、籠田淳子さん。2009年には個人として同賞を受賞している。会社にはキラキラと輝く女性社員の姿が。経営者として、彼女たちを率いる籠田さんに、建築業界における女性の働き方について伺った。
籠田さんの会社は、北九州市に事務所を構える建築設計事務所。建築業界には珍しく、女性の多い職場だ。「周りからは“そんなに女ばっかり雇って何考えてるんか”と言われることもありましたが私だからできる経営の仕方でやりたかった」と話す籠田さん。パートも含めて、事務所の8割が女性だ。女性が多いという特徴を生かし「女性建築デザインチーム」と銘打って、様々な現場で活躍を始めた。最近では東京にも事務所を開き、福岡県だけでなく関東の依頼も手掛け始めている。
籠田さんがこの道を選んだのは高校生の時だった。家は建築業。父親の営む会社の切り盛りに、職人の食事の世話まで、籠田さんの母親は朝から晩まで働いていた。幼いころから父親の使う図面台で遊び、部屋の模様替えを考えたりするのが好きだった籠田さんが設計に興味を持つのは、ごく自然なことだった。朝から晩まで馬車馬のように働く両親を助けたい!そんな思いもあり、工学部の建築学科に進むことを決意する。ところが、喜ぶと思っていた父親から猛反対を受けた。「女が建築やってなんになるか!せいぜいお茶くみか帳面書きだ」。棟上げには女性は上がれないなど男社会と言われる建築の世界では活躍が難しいと考えた父の親心だった。そんな父を説得、2年だけという約束で、なんとか建築学科に入学を許された。
卒業後、実家には戻らずプレハブメーカーに入社、住宅設計の仕事に就いたが、もっと自由な設計がしたい!と思い、2年で離職、デザインの勉強をするため単身ヨーロッパへと渡った。修道院などに宿泊し、イギリスで1ヶ月滞在した後、学生時代の先生のつてで、ドイツにある設計事務所で勉強させてもらうことになった。ヨーロッパ独特の建築やデザインを肌で感じていった。帰国後は地元の会社に就職、一級建築士の資格も取得した。ちょうどその頃、父親の経営する会社で、一級建築士の社員が辞めるという事態が起こっていた。「淳子は資格を持ってる。手伝ってくれ」の言葉で父親の経営する会社のデザイン企画部に入社。文字通り父親の片腕として頑張った。言われていた通り、男社会の現場。冷たい言葉も浴びせられたが、明るく振舞い乗り越えた。この道に進むのを反対していた父親だったが、淳子さんが手掛けた住宅の棟上げ式、「おまえが上がれ」と促してくれた。淳子さんが建築士として認められた瞬間だった。
1999年に父親が他界、「父が亡くなり、すぐに出産となりました。子どもが3カ月の時に代表取締役に就任し、おっぱいをあげながら電話を取るといった状態でした」。姑の3歳までは手元で育ててほしいとの声に応え、できる限り預けずに育てることにした。長男が保育所に通いだすと、仕事の効率はぐっと上がり、依頼も増えてきた。もう一人、手伝ってくれる人がいたら、そんな思いでいた頃、一人の女性と出会った。彼女は2級建築士の資格をもっていた。子どもが中学に上がったのを期に、自分も自由に働きたいと思ったという。
こうして女性二人の有限会社ゼムケンサービスが始動した。ところが、順調に事が進んでいたある日、頼りにしていたこの社員が会社を辞めると言いだした。事情を聴くと、子供が高校受験に落ちたのが、自分のせいではないかと思うとのことだった。建築の現場は夜遅くまで仕事がかかることもある。子どもが受験で大変な時に、仕事で十分に支えてあげられてなかったのではないか、それが辞める理由だった。一人が辞めても、請け負っている仕事が止まる訳でもなく、籠田さんは新たに人を雇うことにした。ところが、求人を見てくるのは何故かみんな女性。1級建築士などの資格はあるものの、子供が小さいから4時か5時には帰りたいという人や、12時までの仕事を探しているなどといった人ばかり。「はじめはちょっとあきれました。でも、考え方を変えて、じゃあ、二人で一人分の働きをしてもらおうと思ったんです」。こうして、ゼムケンサービスでのワークシェアの試みは始まった。同じような子育て世代の二人。お互いにカバーし合い、思った以上に仕事ははかどった。給与も二人で一人分。彼女たちは今出せる力を存分に出してくれた。
みんなが一直線に同じように働くのではなく、ライフステージに合った働き方が大切なのかもしれない。籠田さんは二人の社員を入社させたことで、そんなことを思い始めた。建築現場はどうしても男性が多い職場。働き方も男性並みにと考えがちだが、できることをできる人ができる所までやるというチームプレーでもいいのではないかと考えるようになっていた。「一日のワークライフバランスで考えず、一生のワークライフバランスで考えたらいいのではと思ったんです」。半日しか働けないと言っていた二人も、今では会社を支える強力な社員として一人前の仕事をできるようになった。「女性だからできる経営の仕方があるような気がしています」。女性建築デザインチームはまだ始動したばかり。チーム力で会社を盛り上げる、励まし合いながら仕事をこなす、籠田さんの会社の人々からは、しなやかで強い竹のような力強さを感じだ。
(2012年10月取材)
愛犬のトイプードルを息子さんと一緒に散歩させる時が一日の中で一番好きな時間だと話す籠田さん。毎晩30分から40分は歩くそう。この時間は貴重な親子の会話の時間。支え続けてくれた夫をガンで亡くしたこともあり、こうした親子の時間をとても大切にしています。また、色彩心理学にも興味があり、わざわざ神戸まで月に2回通っているとか。「自分を見直す自分だけの時間です」。上手なリフレッシュで気持ちの切り替えをされています。
1985年、ニッセキハウス工業(株)設計課入社、2年後に単身ヨーロッパへ。設計について学ぶ。1987年、(株)田中デザイン研究所に入社。1993年、父親の経営するハゼモト建設(株)デザイン企画部に入社し、現在は専務取締役。2000年、自身の会社の(有)ゼムケンサービス 一級建築士事務所を始める。一級建築士。監理技術者。インテリアプランナー。被災建物応急危険度判断士、福祉住宅コーディネーター、商業施設士など、数々の資格を取得している。1991年、新小倉ビル新築工事では木工事職長、1998年、西南女学院中学校高等学校玄関事務所新築工事 設計及び設計監理をし、2006年には北九州空港レストランの内装デザイン、施工を手掛けている。2013年内閣府「女性のチャレンジ賞」受賞。
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