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登山 万佐子(とやままさこ)さん   (2012年9月取材)

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小さく産まれた赤ちゃんのための親子の会「Nっ子クラブ カンガルーの親子」 代表

超早産で知った「仲間」の大切さ                                                                                      つながれる場を、自分たちで開拓

 

安定期に入ってまもなく、「まさか」の出産

 1500グラム未満で生まれた低出生体重児のための親子の会「Nっ子クラブ カンガルーの親子」を、福岡県筑紫野市で立ち上げて5年になる。Nっ子とは、小さく生まれてNICU(新生児集中治療室)で過ごした子どもたちのこと。初めて胸に抱いた日の喜びを刻むため、カンガルーの親子を会のシンボルにした。
 子連れで話したり、予防接種や就学について学んだりする定例会のほか、親子遊び、子どもの写真展も行う。仲間で体験手記もまとめた。すべてを貫くのは、「ピアサポート=同じような立場の人によるサポート」への思いだ。
 登山さんは2006年、2人目の子どもを妊娠6か月で産んだ。「安定期」に入ったある日、お腹の中で「ブチッ」と音がして大出血。大学病院に搬送され、緊急帝王切開で重症仮死状態の長女を出産した。体重452グラム。病名は「常位胎盤早期剥離」だった。
 「NICUの保育器で、娘は全身が管につながれ痛々しかった。生きている安堵感もあったけど、この子がどうなるのか、すごく怖かった」。普通の育児情報は何一つ役に立たない。真っ暗闇に突き落とされた感覚だった。

心強かった“先輩ママ”の体験談

 赤ちゃんは「綾美」と命名した。いろいろな人の手で助けられた命。綾織のように、人とのつながりを織りなして生きてほしいという願いを込めた。
 一方、試練は次々とやってきた。肺や脳からの出血、未熟児網膜症の治療…。毎日、冷凍した母乳を届けた。綾美ちゃんを両手で包み、「元気な細胞に生まれ変わって」と祈り続けた。
 そんなとき、1人の母親が声をかけてくれた。体重200グラム台の息子が手術を乗り越えたという。「だから、大丈夫だよ」。“先輩ママ”の言葉は、闇夜のような心に一筋の光をくれた。ホッとして、前向きになれた。
 当時、企業の広報で仕事し、やりがいを感じていた登山さん。だが、未熟児網膜症の手術中、待合室で退社を決めた。視力を失う恐れもある娘の育ちを支えるため。そして、寂しい思いをさせた長男の心を満たすためだった。
「同じ境遇の人と話したい」—。そんな思いを募らせていたころ、テレビ番組で、悩みを分かち合う低出生体重児の家族の会が特集された。「これだ!」。県内に同様の活動がないか探したが、見つからない。出産から半年後の退院時には、「自分で作ろう」と考え始めていた。家庭訪問をしてくれた助産師に、「赤ちゃんのためにも、母親がポジティブになれる支援が必要」と語ると、意気投合。筑紫地区の低出生体重児を対象とした育児講座で、会の発足を呼びかけるよう勧めてくれた。そこで出会った母親2人と活動を開始したのは、綾美ちゃんが1歳になるころだった。

一人でも多くのママ・パパに笑顔広げたい

 参加者はいきなり、20人近く集まった。NICUでは互いに声をかけにくいが、仲間と話したいという思いは共通していたと実感した。
 何でも話せる。話が支離滅裂でもいい。誰も責めない。口外しない―。そんな安心空間で、一人ひとり感情を吐き出した。散歩中に「赤ちゃん何か月?」と聞かれるだけで胸が疼く。「元気に育つよ」との励ましに、「何も分からないくせに」と毒づいてしまう…。
 話す人も聞く人も、みんなぼろぼろ泣いた。そして、笑顔で帰宅。そんな日は登山さん自身、とびきりの笑顔で子どもたちと接することができた。
 じきに、「DN(ダディNっ子)の会」という父親同士の飲み会も始めた。父親は、母親以上に、育児の悩みを打ち明ける場を持ちにくい。そのことが、離婚や虐待につながってはいけないという思いだった。
 来年、綾美ちゃんは小学生になる。「娘のおかげで地域に仲間が広がった。車椅子で視力も弱いけど、どこでも『あやちゃん』と声をかけてもらえる。本当にうれしい」。
 仲間とつながることで、不安や苦しみを「感謝の思い」に昇華させた登山さん。今後は、産後まもない後輩ママ・パパを支える活動を充実させるつもりだ。一人でも多く笑顔が広がり、子どもたちの元気につながるよう願いながら。
                                                                                                          (2012年9月取材)

コラム

「私の宝物」

 今は踊っていないが、大切にしまっているバレエシューズが宝物だ。バレエを習い始めたのは小学3年生のころ。父親の転勤で転校が多く、小学校は3つ、中学校2つ、高校2つに通ったほどだったが、バレエはどこに行っても続けた。常に転入生という立場だったうえ、かなりの引っ込み思案だったが、唯一、自分を思い切り表現できたのがバレエだったという。幼なじみと呼べる友だちがいなかった少女にとって、バレエシューズは、苦楽をともにした“親友”だったのかもしれない。
 大人になってもバレエはできる。「夫には踊る姿を見せたことがないんですが、そろそろ再開してダイエットしたいな…って思っています」。“親友”との歴史に、また新たなページが刻まれそうだ。

プロフィール

1993年4月、地場百貨店に入社。バイヤーを経験した後、広報を担当。2007年3月に退社。同年11月、「Nっ子クラブ カンガルーの親子」を仲間3人でスタート。2011年には、第5回「未来を築く子育てプロジェクト」(同プロジェクト実行委員会主催)で未来賞を受賞した。筑紫野市在住。夫と11歳の長男、5歳の長女と4人暮らし。

 

 

 

 


 

 

 

 

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