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稗田 慶子(ひえだけいこ)さん

【ロールモデル】
ロールモデルとは

元福岡県副知事 / 九州電力株式会社元監査役   (取材時:公益財団法人福岡県女性財団顧問)            

生き方そのものが男女共同参画だった

 

キュリー夫人伝記に理想の生き方を見る

 「大きくなったら男の子は兵隊さんに、女の子は銃後の母になるんですよ」。小学校4年に終戦を迎えるまで、学校でそう教え込まれてきたのは、臨床医を経て後に沖縄を除く九州・山口で初の女性副知事として活躍した稗田慶子さんだ。
 「戦争が終わり、ああっ、もう銃後の母になってはいけないんだな。私は何になろうかな…子どもごころに一生懸命考えたことを覚えています」と遠くを見る。多感な中学時代のことだった。「慶子が男なら医者か弁護士になるといいね」両親の会話を偶然耳にして、医者か弁護士になると両親は喜んでくれるんだ。そんな気持ちを胸に抱いていたとき、ふと手にした『キュリー夫人』の伝記が稗田さんの目を開かせた。
 「すばらしい仕事をしているし、結婚もして、立派に子どもを育てた上げた女性。これぞ理想の人生。こういう生き方をしたいと感動しました」。親戚筋に医者がいた環境も手伝ったとはいえ、両親の言葉を胸に留め、キュリー夫人の生き方に自分の理想を見た稗田さんが、医学の道へ進んだのはごく自然の流れだった。

医療人から行政官への転身

 「どうしても仕事を辞めろというなら離婚します」。同じ医者であるパートナーと本気のバトル。10分ほどの沈黙、「分かった、できることは手伝う」。言葉は引き出したものの現実は変わらなかったが、すっきりとしたした気持ちで仕事と家庭の両立に取り組むことができるようになった。医師としての勤務後は、今度は自宅で家事と3人の子育て、翌日の下調べなど次々と用事が押し寄せる。この時期、家では3分も座っていられない毎日だったという。
 そんな折り、大学から「県が保健所所長になってくれる医者を探している。1~2年ほど行ってくれないか」との打診を受ける。育休もなく、支援制度もない中で奮闘していた稗田さんは子育て優先を選択、臨床医から医療行政を担う行政官へ転身した。  
 その後、厚労省管轄の救急救命研修所所長を務めるが、当時の麻生知事が「稗田さんを県に返してほしい」と厚労省へ直談判。戻った身に待っていたのは、福岡県女性総合センター(後のあすばる)館長就任の要請だった。医療分野を歩んできた稗田さんには未知の世界。それでも「おもしろそうね、やってみるか…」と受諾。これが、副知事に繋がるとは予測できるはずはなかった。

人生は可能性に対する挑戦

 女性総合センター館長に就いた稗田さんは、子育てがひと段落したアラフォー以上の女性の能力の高さに驚く。「こんな素晴らしい女性を子育てで家庭に閉じ込め、終わったら正規採用もせずにパートの立場に置いたまま。これでは日本に明日はない」。社会の不条理を感じ、女性問題や子育て問題に正面から向き合うようになる。
 勉強を重ね、時代の風が女性を主役にしつつあると感じ始めていた稗田さんに、転機が訪れる。麻生知事から副知事就任の要請が飛び込んだのだ。運命の女神は、受け入れる準備を整えた者にしか微笑まないと言うが、それは福岡県で初となる女性副知事の誕生だった。
 就任2年目の1999(平成11)年、全国9人の女性副知事と『女性副知事サミット』を開催。バブル崩壊で消沈とした社会に元気を与え、県政においては意思決定の場で医療、女性、子育ての分野で磨いた腕を遺憾なく発揮。新しい風を吹き込んだ。
 「人生は可能性に対する挑戦。やってみようという気持ちで挑戦することで、道はひらけてきます」。その歯切れ良い言葉に、どれだけの人が元気づけられただろうか。
(2011年2月取材)

コラム

これからは少しのんびりと…

 趣味といえば歌が好きですね。毎日、お風呂で気持ちよく歌っていますよ(笑)。マイフェアレディとかエーデルワイスなど映画音楽が好きです。これまでは読書の時間をなかなか取れなかったんですが、ようやく少しずつ本にも親しめるようになり、医学系から経済関係まで幅広く楽しんでいます。忙しさもひと段落ついたので、少しのんびりしたいですね。

プロフィール

1961(昭和36)年に九州大学医学部を卒業。翌年、九州大学医学部第二内科に入局。1964(昭和38)年に久留米大学医学部第一内科に入局。
1972(昭和47)年に福岡県採用となり、八女保健所予防課長を務めた。その後、1986(昭和61)年から福岡県浮羽保健所所長、1988(昭和63)年から衛生部健康増進課長、1990(平成2)年から福岡県山門保健所長、1992(平成4)年から保健環境部保健対策課長、1995(平成7)年からは「財団法人救急振興財団 救急救命九州研修所」の所長を歴任。
1996(平成8)年に「財団法人福岡県女性財団」副理事長・「福岡県女性総合センター」館長となり、1998(平成10)年から2009(平成21)年3月まで、同財団理事長、2009(平成21)年から2014(平成26)年3月まで同財団顧問を務める。
1998(平成10)年から2006(平成18)年まで、福岡県副知事を務める。
2009(平成21)年から2013(平成25)年6月まで九州電力株式会社監査役を務める。

 

 

 

 


 

 

 

 

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