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喜多 悦子(きたえつこ)さん  (2011年2月取材)

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(公財)笹川記念保健協力財団理事長(取材時:日本赤十字九州国際看護大学学長)

少子高齢化社会に、看護の可能性を広げる教育を実践

 

アメリカ軍軍医の姿に憧れ医学を志す

 「美しき森は 暗く深し されど 我に守るべき約束 宿る前に 辿るべき長き道のりあり」。詩人ロバート・フロストの詩は、日本赤十字九州国際看護大学学長の喜多悦子さんの人生訓。
 人として生まれてきた以上、人には果たすべき使命があることを示したこの詩文は、喜多さんに医学、国際保健を志させた人物、アメリカ海軍軍医トム・ドゥーリー医師が愛した詩でもあるという。
 マッカーシズムが時代を席巻していた1950年代、多感な高校生だった喜多さんはトム・ドゥーリーの経験談と出会う。インドシナ半島ラオス北部に診療所を開き、人々のために苦闘の日々を重ねる姿に強い印象を受けて、医学を選ぶことを決意。このときの感動が、後に喜多さんをして国際保健活動や人道支援への道を歩ませることになる。
 大学卒業後は小児科医として臨床経験を重ね、NIEHS/NIHアメリカ環境衛生研究所/国立衛生研究所客員研究員としての経験など、順風にキャリを重ねていた喜多さん。しかし、推されて立った教授選に敗れ、進路を考える機会を持つこととなった。

国際貢献・人道支援に使命を見出す

 改めて、「何のために自分は医者になったのか…」と自問する喜多さん。そんなとき「JICA専門家として、日本が建設した中日友好病院で働かないか」と問われた。それが人生の岐路でもあったが、幼少時に滞在した大陸の地を踏む。それがきっかけとなって現国立国際医療研究センターの技官となり、海外での活躍の場を広げた。
 1988(昭和63)年11月、日本で初めての紛争地支援としてパキスタンへ派遣され、同国内のアフガニスタン難民救済に尽力。また、1996(平成8)年に起きた在ペルー日本大使公邸占拠事件にも現地へ赴き、人質やその家族、会社関係者などの健康管理に関与。この功績により厚生・外務の両大臣から感謝状を贈られた。
 「ペルーでは外務省や警察庁、通産省(当時)など、他省庁のスタッフと仕事をする機会に恵まれ、それぞれのプロ意識にふれることができたと同時に、色々な仕事を実感する機会だっと思います」。
こうした国際経験が、喜多さんに再度の転身をもたらせることになる。

変革の分岐点でこれからの看護を模索

 以後もWHO本部で、世界の紛争地での保健医療計画の支援に関与。これらの長い国際貢献・人道支援が認められ、エイボン女性大賞や医療功労賞を受賞し、豊かな国際経験と高い人間性から、日本赤十字九州国際看護大学に於いて『国際保健』の教鞭に立つよう要請を受ける。  
 現在、国内には200余りの看護大学があるが、単科で『国際』の名を持つ大学は唯一ここだけ。『国際』の教義について、「たとえば途上国でなぜ感染症が蔓延するのか、予防するにはどうすればいいのか…学生が自分で考える根拠を示してきた」と解説。
 現在は、同大学の学長として一切の責任を背負い、質の高い看護師の育成に取り組む喜多さん。
 「臨床現場に即応できる看護も大切だが、保健医療をきちんと学び、学問としての看護もおろそかにしてはならない」と臨床での技術偏重の風潮へ警鐘を鳴らす。
 少子高齢化が到来したいま、看護師の役割はさらに高度化・多様化が求められる。変革の分岐点で、喜多さんの指針に注目が集まる。
                                                                                                  (2011年2月取材)

コラム

歴史を楽しむオフタイム

 私は兵庫県出身で大学は奈良県立医科大学に学びました。奈良といえば邪馬台国の畿内説もありますが、私は、大陸との関係から九州説。福岡へ来てからは、それを確信しています。
 また、日本赤十字社は佐賀の佐野常民候が創設。初めて活躍したのが西南の役、雌雄を分けた田原坂の戦いです。オフタイムは、昔からのネコ本に加えて、古代史や明治維新関係の本を読み、歴史を楽しんでいます。

プロフィール

兵庫県出身。1965(昭和40)年、奈良県立医科大学を卒業。1970(昭和45)年に国立大阪病院の厚生技官、1973(昭和48)年に奈良県立医科大学教員となる。1977(昭和52)年、アメリカNIH/NIEHS客員研究員へ。1986(昭和61)年、中国中日友好病院JICA専門家に。1988(昭和63)年にユニセフアフガンプログラム事務所の上級専門官に就く。その後、1997(平成9)年からは世界保健機構(WHO)緊急人道援助部緊急支援課長を務め、2001(平成13)年に日本赤十字九州国際看護大学の教授へ就任。2005(平成17)年から2013(平成25)年3月まで学長に就任。2013(平成25)年4月より(公財)笹川記念保健協力財団理事長就任。
2002(平成14)年にエイボン女性大賞、大山健康財団奨励賞。2003(平成15)年に国際ソロプチミスト千嘉世子大賞。2006(平成18)年、第3回JICA理事長表彰を受ける。2012(平成24)年男女共同参画社会づくり功労者内閣総理大臣表彰受賞。

 

 

 

 


 

 

 

 

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