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【センター長コラム No.68 】私の読書録から―3人の女性に学ぶ生き方  (2021年12月20日配信)

お変わりありませんか。

「あすばる男女共同参画フォーラム2021」は、皆様のご協力により、盛大に開催することができました。心からお礼申し上げます。

11月26日の前日祭からフォーラム・ウィーク最終日の12月4日までの間に、あすばるホームページのフォーラム特設サイトからの視聴、市町の視聴会場や県民企画事業の会場での参加など、合わせて4,600人超の方がフォーラムにご参加くださいました。ありがとうございます。

特設サイトの閲覧期間を延長してほしいという声が大変多く寄せられており、現在、調整中です。調整が整ったイベントについては、年末年始の期間中に再公開を予定しています。詳細は、あすばるホームページでお知らせしますので、是非ご覧ください。

 

今日の季節の花は、吉祥草と皇帝ダリアです。皇帝ダリアは、ほとんどが11月に開花しましたが、レモンの横に植えたこの1本は、12月になってから咲きました。

 

 

さて、今日は、私が最近読んだ本や新聞記事の中から、3人の女性の人生を紹介したいと思います。

1人目は、日本ユニセフ協会会長の赤松良子さんです。

赤松さんは、今年2月に開催した「あすばる大交流会」に東京のご自宅からオンラインで参加してくださいましたし、あすばるフォーラム前日祭でも、あすばる開館25周年のお祝いにいただいたメッセージを紹介しましたので、皆さんはよくご存じだと思いますが、現在、日本経済新聞の「私の履歴書」に、赤松さんの半生が連載中です。
 

赤松さんの自伝『赤松良子 志は高く』(日本図書センター、2001年)や、労働省婦人少年局長として1985年の男女雇用均等法の制定にご尽力された当時のことを書いた『均等法をつくる』(勁草書房、2003年)は、あすばるライブラリーにも所蔵されていますので、新聞とともに是非お読みください。

 

私は、戦後日本の女性政策の歴史を研究したときに、均等法制定の歴史を国会議事録などで調べたことがあるので、特に、「私の履歴書」の第1回(12月1日)の均等法制定に関する記事は感慨深く読みました。

 

記事には、男女雇用機会均等法の国会審議での赤松さんの答弁が掲載されています。

 

「(法案は)百点満点だと決して思っていません。見直しを今後も引き続き行っていくべきだと思います。しかし、この法律があることによって、その進歩が現実により具体的になることを、私は信じております」

 

これは、衆議院社会労働委員会で、江田五月議員の質問に答えた答弁です。法制定反対の使用者側と、厳しい内容を迫る労働者側のはざまに立ってやっと法案提出にこぎつけたものの、法案だけでなく赤松さん自身に対しても容赦ない批判がある中で、このときの江田五月さんの質問は優しく、赤松良子さんの答弁も胸を打つものがありました。

 

この答弁は『均等法をつくる』にも掲載されています。また、私の著書『戦後日本女性政策史ーー戦後民主化政策から男女共同参画社会基本法まで』(明石書店、2009年)にも詳しく掲載しました。

 

「私の履歴書」(12月1日)で、赤松さんは、自分を励ます「男女平等の実現のための、長い列に加わる」という言葉を紹介し、「長い列に加わり、92歳のいまも歩き続けている」と述べています。私も、あすばるに集う皆さんと一緒にこの長い列に加わり、歩き続けたいと心から思っています。

 

2人目は、慶應義塾大学名誉教授の倉沢愛子さんです。倉沢さんはインドネシア研究の第一人者で、1998年に『女が学者になるとき』(草思社)を出版していますが、今年8月に、「補章 女は学者をやめられない」を新たに加えた『増補 女が学者になるとき インドネシア研究奮闘記』(岩波現代文庫)が刊行されました。

 

この本は、倉沢さんが大学院でインドネシア研究を志してから大学教員になるまでの軌跡を描いたもので、インドネシアをはじめ海外に何度も足を運び、そこで暮らして、聞き取り調査をし、史料を探し、論文を書いた研究者であり、かつ、学生結婚をして家庭を持ちながら研究や仕事を行った女性の姿が描かれています。1970年~1990年代の話ですが、決して古い話ではなく、いま研究職を志している人にも、大学で学んでいる学生にも、大変参考になると思います。

 

私は、数年前、インドネシアの婦人会の調査をしたときに、倉沢さんがインタビューに同行してくださったり、私を倉沢さんの調査に参加させてくださるなど、多大な支援をしていただきましたが、本に描かれているとおりの、ひたむきに知ろうとする姿勢や、相手の懐に飛び込む力、周到な段取りなど、多くのことを学びました。

 

その倉沢愛子さんが、今年8月に出版した『南島に輝く女王 三浦ヒデ』(岩波書店、2021年)に描かれている女性・三浦ヒデが、3人目の女性です。

三浦ヒデは、明治時代の函館に生まれた女性で、ロシア革命で国を追われた帝政ロシアの貴族と結婚し、オランダ領東インド(インドネシア)に渡り、農園を切り開いて住みつき、太平洋戦争中の日本の侵攻、日本の敗戦によるオランダ統治復活、インドネシア独立など、近現代史の荒波にもまれながら波乱万丈の人生を送りましたが、ほとんど誰もこの人を知らないと思います。

 

三浦ヒデの人生が明らかになったのは、倉沢さんが史料探しに訪れたジャカルタの国立文書館で、たまたま手に取った手紙の中に、インドネシア在住のロシア人と日本人の夫婦が、太平洋戦争中の対日協力の咎(とが)で、戦後オランダ当局によって投獄されたという話が書かれており、どんな女性だろうと、研究者の好奇心が動かされたことがきっかけです。

 

倉沢さんは、自分の本来の研究の合間に、この女性を調べ、15年を費やして出版にこぎつけました。

 

三浦ヒデの人生は、革命や戦争、植民地支配といった国の歴史に翻弄されましたが、しかし、ヒデは、常にその運命に立ち向かった強い女性で、その子孫は、いまグローバルに活躍しています。スカルノ家に嫁いだ子孫もいて、ヒデとデヴィ夫人が言葉を交わしている写真も本書に収録されています。詳細は、是非この本をお読みください。

 

私は、三浦ヒデの人生はもちろんですが、1通の手紙からこの女性のファミリーヒストリーを世に出した倉沢さんの研究者魂に感嘆します。

詳細に事実関係を調べ、関係者を回って聞き取り、史料で歴史的な裏打ちをしました。デヴィ夫人は、この本を、単に戦前戦後の時代の流れに翻弄された1人の女性とその家族の物語というだけでなく、膨大な資料と時間と執念で倉沢さんが書き下ろした「日本人が知るべき大変貴重な歴史的物語である」と絶賛しています。

生き生きとした筆致で描き出された三浦ヒデの姿は、まるで映画を見ているようです。

 

倉沢さんは著書で、「女は学者をやめられない」と言っていますが、その根底にあるのはいつまでも持ち続けている探究心ではないでしょうか。私たちも、「知りたいの気持ち」や「わくわくの心」を持ち続けていれば、私たちの仕事や活動において、新しい発見や感動に遭遇し、実りある成果にたどり着くものだと思います。

 

人の女性の、強い信念、切りひらく姿勢、あきらめない心を学んだ私の読書でした。

 

終わりは、マイ農園だよりです。

今年も、レモンがたくさんなりました。ベランダのプランターのイチゴが赤くなりました。クリスマスケーキの上に乗せようと思います。

ではまた。                        (2021.12.20)

 

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