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【センター長コラム】 日本国憲法第24条を書いた女性 ③  (2020年2月22日配信)

椿は次々に花を咲かせています。鉢植えの沈丁花に花がつきました。沈丁花の香りは強いので、遠くまで香りが漂ってきます。

 

 

 

さて、今回は、憲法第24条の草案を書いた女性ベアテ・シロタのお話の続きです。

 

ベアテのアメリカ留学中に日米が開戦し、ベアテはアメリカ、両親は日本と、離れ離れになってしまいましたが、戦争が終わると、ベアテは、日本に来る手段として、日本占領の任務にあたるGHQの民間要員の採用試験を受け、日本語が堪能であったことからすぐに採用され、1945年12月に来日、無事、両親と再会することができました。

 

そして、翌1946年2月に、日本国憲法草案執筆という思いがけない任務を負うことになったのです。

 

1946年2月4日、ベアテの所属するGHQ民政局のメンバーが一室に集められ、憲法草案を作成することを命令されました。

 

日本は、ポツダム宣言を受諾した後、新しい憲法草案を作成途中でしたが、その草案が2月1日の新聞にスクープされ、明治憲法とほとんど変わっていないことを知ったGHQは、自ら秘密裏に草案を作成し、日本政府に受け入れさせることにしたのでした。

 

草案の完成期限は2月12日。トップシークレットでした。ベアテは、人権条項の担当になりました。

 

ベアテは、少女時代に暮らした日本で見聞きした女性の状況を思い出しながら、世界各国の憲法を参考に、「男性も女性も人間として平等である」をキーワードに条文を書きました。

 

ベアテは、24条のもとになった条文のほかにも、母性保護、職業の機会均等、男女同一賃金、児童労働の禁止など多くの条文を書きました。しかし、GHQは、憲法は原則を書くにとどめ、詳細は法律によるという方針であり、GHQ内で行った検討会において、ベアテの書いた条文は細かすぎて憲法に書くレベルではないとして24条以外はすべてカットされたのでした。

 

そして、2月13日、GHQは、自分たちが作成した憲法草案を日本政府に示し、これをもとに日本案を作成するよう迫ったのです。

 

日本側が驚いたのは言うまでもありません。後にGHQ案を見た日本政府の担当官は、「エキゾチックな条文に充ちみちていることを知って非常に大きな衝撃を受けた」と記しています。

このころに、日本側の終戦連絡中央事務局にいてGHQとの交渉に動いていたのが、GHQから「従順ならざる唯一の日本人」と言われた白洲次郎です。

 

日本側とGHQのやり取りがあった後、3月4日、日本とGHQが同じテーブルについて、1条1条検討しながら、憲法の確定草案をつくることになりました。

 

ベアテは、日本とGHQの協議に、日本側の通訳としてずっと同席しており、この日、自らが書いた条文の行方を自分の目で見ることになったのでした。

 

日本側が、「日本には、女性が男性と同じ権利を持つ土壌はなく、日本女性には適さない」と主張したのに対し、GHQの責任者が「この条項は、日本で育って、日本をよく知っているミス・シロタが、日本女性の立場や気持ちを考えながら一心不乱に書いたものです。悪いことが書かれているはずはありません。これをパスさせませんか」と提案し、ベアテの通訳に好感を持っていた日本側が「それじゃあ、おっしゃるとおりにしましょう」と承諾したということです。

 

第24条は、第1項で、婚姻の自由と夫婦が同等の権利を有することを保障し、第2項で、家族に関する法律は、個人の尊厳と両性の平等に立脚して制定されるべきことを要求する条文です。もちろん、ベアテが書いたとおりの文章ではなく、大きく修正されています。

 

この条文に基づき、民法が改正され、戸主や家督相続の制度がなくなりました。

 

ベアテは1947年にアメリカに帰国し、翌年、同じGHQ民生局で通訳をしていたジョセフ・ゴードンと結婚、その後アメリカで日米の交流事業に携わりました。

 

GHQの憲法草案作成に関して詳しく知りたい方は、鈴木昭典『日本国憲法を生んだ密室の九日間』、ベアテ・シロタ・ゴードン著『1945年のクリスマス―日本国憲法に「男女平等」を書いた女性の自伝』などをご参照ください。また、日本側の目で見た読み物としては、佐藤達夫著『日本国憲法成立史』など多くの書物があります。

 

私は、高校生の頃、歴史は苦手科目でしたが、大学院で政治史の先生と出会ってから、歴史は物語り(story)であることに気づき、推理小説だと思って歴史を読むようになりました。歴史は面白いです。学ぶことも多いです。

 

そして、歴史は、男性の物語(his story)だけでなく、これまで公的な書物に書かれていなかった女性の物語(her story)もまた歴史であるということを認識しなければならないと思っています。

 

 

結びは、マイ菜園の近況報告です。

 

先日の寒波襲来のときは、ベランダのイチゴもうっすら雪をかぶりました。

中央の赤い実は、昨年暮れに花が咲いたトマトです。夏に取り忘れて落下した実から芽が出たもので、ダメになると思っていたのに、ちゃんと赤くなりました。食べたら甘くはありませんでした。

黄色は晩白柚。黒い煤のようなものがつく煤病が出てしまいましたが、食べるのには問題ないようなので、収穫したいと思います。

健康管理、十分お気をつけください。

ではまた。

                                                                                               (2020.02.22)

 過去のコラムはこちらから 
日本国憲法24条を書いた女性①
https://www.asubaru.or.jp/106792.html
日本国憲法24条を書いた女性②
https://www.asubaru.or.jp/113813.html

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