今年も残すところ4日となりました。庭のニシキギは燃えるような赤色になりました。オレンジ色の実は、クチナシの実です。おせちの栗きんとんをつくるとき、サツマイモと一緒にゆでるときれいな黄色に染まります。
ゆく年を振り返ると、多くの出会いがありましたが、また、多くの方の訃報にも接しました。今年亡くなられた女性の中で、特に私の心に残っている方が、ソプラノ歌手の佐藤しのぶさんと旅行作家の兼高かおるさんです。
佐藤しのぶさんは9月に亡くなられましたが、私は、6月に築上町の旧蔵内邸で開催された音楽サロン「佐藤しのぶ 日本を歌う」で、間近に素晴らしい歌声をきいたばかりだったので、突然の訃報に驚きました。
佐藤さんが歌った歌の中に、山田耕筰作曲の童謡があったので、山田耕筰と、日本国憲法第24条の草案を書いたベアテ・シロタとの縁について、6月のセンター長コラムに、「憲法第24条を書いた女性」と題する文を書きました。
このコラムには多くの反響をいただきました。ベアテ・シロタの半生は、父母の結婚から憲法草案の執筆まで、よく糸がつながったと思うような、小説よりもドラマティックなドラマなので、また改めてご紹介したいと思っています。
ベアテ・シロタが、GHQの要員として来日したのが1945年12月24日、憲法草案の作成が行われたのが、1946年2月です。2月までにはコラムをアップしたいと思います。
兼高かおるさんは、私が小学生のころ「兼高かおる世界の旅」というテレビ番組を見て憧れていた方です。いろいろな国を飛び回る兼高さんの、颯爽として自然で上品な姿を見て、あんな女性になりたい、あんな仕事をしたいと思いました。実際に就職したのは市役所でしたが、アジア諸国に行く機会のある職場に異動になったとき、とてもうれしく思いました。
兼高さんが、何かのインタビューで、この仕事の一番大事なことは、「訪問先でもてなしを受けたとき、どんなものでも食べること。食はその土地の文化である。また、自分たちが食べる予定だった貴重な食料を私のために出してくれたのだから」と言われていたことを思い出します。
そして、今年の出会いの中で特に心に残っているのが、地域の皆さんとの出会いです。
県内の7つの地域で開催している「女性による元気な地域づくり講座(元気塾)」はもとより、自治会や町内会といった住民に最も身近な団体から「地域における女性リーダーの必要性」や「地域活動における男女共同参画」に関する研修の講師として呼んでいただきました。
あすばるに視察研修に来られる団体も増えています。あすばると地域がより近くなったような気がしてうれしく思います。
来年も、地域の皆さんのところに伺ったり、あすばるにお越しいただいたりして、あすばると地域の連携をより深めていければと思っていますので、いつでもお声かけください。よろしくお願いいたします。
結びの写真は、来年がよい年でありますよう祈念して、センリョウとマンリョウの写真にしました。
どうぞ、よいお年を。
では、また来年に。