【ロールモデル】
ロールモデルとは
うきは市商工会副会長 / 道の駅うきは「食事処なかよしこよし」マネージャー
ピンクのはっぴを着た元気な女性たちとともに、うきは市に訪れた観光客を出迎える森永和子さん。2014年から始まった、うきは市商工会「おもてなし事業」を盛り上げている女性部長だ。全国的に商工会への新規入会者が少ないとされる中、大幅に新規会員数を伸ばし、2014年に全国商工会女性部連合会より表彰を受けた。「出ごとが多いとためらう女性の不安を取っ払っただけですよ」と朗らかに笑う。
中国で生まれ、戦後、母親の実家がある飯塚市に引き揚げた。「中国に置き去りにしてもおかしくない混乱期の中、過酷な道中だったと聞いています。母が必死に守ってくれたことに感謝しています」。小学生の頃から浮羽郡田主丸町(現在の久留米市田主丸町)で過ごした。「証券会社に勤務していたからか、数字には強い方」と話す。
料理人の夫と結婚後、しばらくは家事や子育てに専念するも、物足りなさを感じるようになり、化粧品販売店を開業。順調に売り上げを伸ばし3店舗にまで拡大。やがて子どもたちは独立し、化粧品店は長女が引き継ぐことに。2009年2月、夫や長男夫婦とともに道の駅うきは内に、地産地消を掲げた食事処を開業した。
商工会の女性部長を引き受けたのは2010年5月のこと。新店舗を軌道にのせることに精一杯で、踏ん切りがつかなかったが、長女の一言が胸を打った。「自分のことだけでなく、うきは市の発展のことを考えてみたら?お母さんなら、うきは市の魅力を豊かに発信できると思う」。
「ふれあいを通してうきは市の魅力を伝えたい」。森永さんの思いは、平成26年度に本格始動した全国商工会女性部連合会の「おもてなし交流事業」で実現した。市の魅力を体験してもらえるようなコースを設定し、生産者と会話を交わしながらのフルーツ狩りなど、地元部員ならではのおもてなしが喜ばれ、初年度は県内外から100人以上の来訪者があった。事業は女性部員のボランティアで成り立っているが、決して無理強いはせず「賛同する人がやればいい」を信条としている。近頃は、楽しさが実感できるようになったのか、「最初は乗り気でなかった部員もイキイキと活動している」そうだ。来訪者からはお礼状が届くこともしばしばで、そのたびに森永さんは顔をほころばせ、返事を書いている。
一方、自らが運営する食事処では、地元のチョウザメ養殖業者と協力し、うきは市の目玉となる新しい料理を目指した。2012年の水害で全滅したが、根気強く飼育を続けたところ、2014年にキャビアの収穫に成功し、「チョウザメ料理」が実現した。情報を聞き付けたメディアが押し寄せ、キャビア(卵)だけでなく、身も美味しく栄養価の高い食材として注目を浴び始めている。
「うきはを活性化させるために、ハートフルな活動をしたい」と話す森永さん。「大きな観光名所はなくても、フルーツの里として知られ、地域のブランド肉、「耳納いっーとん」もある。筑後川温泉や吉井温泉もあり、白壁づくりの町並みや自然がある。おもてなしの心で一緒に盛り上げましょう」と、自営の女性や農家の若い女性にも声をかける。市を盛り上げることが、自分たちの生活を明るくすることだと信じ、真っ直ぐに事業に取り組む姿が、多くの賛同者を得ているに違いない。
「いつも希望を持って前向きに。夢をあきらめたらダメ、苦しいことはバネにすればいい。ほら、マイナスもふたつでプラスになるでしょう」と、笑い飛ばす笑顔が周囲をあたたかく照らしている。
(2015年2月取材)
今、夢中なのは宮尾登美子さんの本。「天涯の花」をはじめ多数揃え、時間があれば読んでいるそうだ。スポーツも大好きで、60歳を過ぎてから卓球を始めたという。「まだ弱いけれど、ラリーなら100回も1000回も続くんじゃないかな。目指すは世界大会!チャレンジ精神が大事だから」とお茶目に笑う。
中国で生まれ、4歳の時に母親の出身地である福岡県飯塚市へ。その後、当時の浮羽郡田主丸町(現在の久留米市田主丸町)へ。高校卒業後証券会社に勤務。結婚後、家事・育児に専念。その後、3人の子育てをしながら、化粧品販売業を営む。2009年2月に道の駅うきはに「食事処なかよしこよし」を開業。2010年5月~2015年3月、うきは市商工会女性部長を務めた。2013年6月、うきは市商工会副会長に就任。2014年 新規会員増加により、全国商工会女性部連合会より表彰を受けた。うきは市観光協会理事。
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