【ロールモデル】
ロールモデルとは
株式会社新菱 総務人事部 課長代理
人事担当者として、採用、異動、就業規則の改定など幅広い業務を担う来米千夏さん。「ご縁のあった方たちが、生き生きと仕事をしている姿を見るのが人事の醍醐味ですね」とうれしそうに話す。さまざまな職を体験し、辿り着いた今の仕事。
「いろいろなことが予定どおりではなかったけれど、“どんな環境でも諦めない”ことで、仕事も人生もどんどん楽しくなっています」。
高校卒業後はすぐに仕事が見つからず、フリーターを経て最初の会社に就職をした。そこで女性は補助職のような位置付けで、「専門性を身に付けないと働き続けるのは厳しい」と実感。派遣の仕事に切り替え、夜間の大学に入学した。「20代のころは専業主婦願望が強かったんです。ただ、子どもが大きくなってから働こうとしても、自分に何か強みがないといけない。できるときに学んでおきたいという気持ちでした」。
大学では法律を学び、卒業後は専門学校の講師になった。ちょうどパソコンが普及し始めたころで、派遣時代に身に付けたスキルを活かしてワードやエクセルの授業を担当した。1年経ったとき、「今自分が教えていることは、いずれ高校で習うようになる。淘汰されてなくなるかもしれない」という危機感が芽生えた。来米さんはさらに仕事に役立つ法律を学ぶため、大学院に社会人枠で入学した。
転機が訪れたのは30代前半。専門学校の講師の後に、営業職として就職した医療系のシステムサービス会社の組織変更で、転勤と職種転換を打診された。顧客と信頼関係を築く営業の仕事にやりがいを感じ、ずっと働き続けたいと思っていただけに、改めて自分のキャリアプランを見直すきっかけとなった。「専門学校では、学生のキャリアや就職先の相談を受ける仕事もしていたので、大学で学んだ知識や今までの経験が少しでも活かせる人事の仕事をしたいと思いました」。労務や法務の知識はあっても実務経験のない場合は門戸が狭く、書類選考で何社も落ちたが、面接に進んだ数社から現在の会社に就職が決まった。
入社した翌年、会社はワーク・ライフ・バランスに取り組む方針を掲げた。来米さんが主担当になり、全社員にアンケートを実施。女性が1割という職場環境や社員の要望を反映し、育児だけではなく介護や地域活動も視野に入れた制度が作られた。新しい制度を浸透させるため、全国各地の工場を回って説明会を開いた。
当初は業務効率の低下を心配する声もあったが、産休取得後に復帰したり、親の通院に付き添うため時短制度を活用することで、育児や介護を理由に辞める社員が激減。働き方の見直しにもつながり組織が活性化されていった。これらの取組が評価され、2009年に「北九州市ワーク・ライフ・バランス表彰」の企業団体部門で市長賞を受賞した。
4年前、福岡県が主催する「女性研修の翼」でドイツとフィンランドを訪問した。男女共同参画の先進国というイメージだったが、給与や昇進など日本と同じような課題があることを知った。どんな状況にも毅然と立ち向かう女性の姿に触発され、同行したメンバーからも大きな刺激を受けた。子育てをしながら仕事を続けてきた先輩の女性たちが多く、経験談や励ましの言葉から大きな勇気をもらった。
研修とほぼ同時に結婚し、翌年には長男を出産。管理職昇格と出産の時期が重なり両立できるかどうか不安に思ったが、「よかったね。おめでとう」という上司の言葉に救われた。現在は保育園の送迎のため時短勤務をしている。仕事の流れや周囲の状況にも気を配り、臨機応変に制度を活用している。
新しい経験をするたびに未知の自分を発見してきた来米さん。若い女性へのアドバイスは、「考えすぎないで、やってみること」だという。「周りの環境も自分の考え方も変わります。やりたいことをするために、何かを諦めなければいけないと思っているのはもったいない。始めてしまえば何とかなるものですよ」。 (2014年10月取材)
「ふくおか女性いきいき塾」の第一期生だった来米さん。各分野で活躍する女性たちと、業種や地域を超えたネットワークを築いた。卒業して2年経った今も、同期のメンバーと3~4カ月に1度飲み会を開いている。「同じようにがんばっている人たちと話をすることが、一番のリフレッシュですね。元気になれる貴重な時間です」。
北九州市出身。高校卒業後、電気設備関連の企業に就職するが、大学入学のために退職。派遣社員として働きながら北九州市立大学法学部第二部を卒業。2004年九州大学大学院法学府修士課程修了(民刑事法学専攻)。2001年~2004年人材教育関連の専門学校講師を経て、2007年株式会社新菱に入社。2011年課長代理(管理職)昇格。
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