【ロールモデル】
ロールモデルとは
西部ガス株式会社 総務広報部部長(取材時:人事労務部人事サービス室マネジャー)
知的で凛とした雰囲気が漂う一瀬香さん。西部ガス株式会社に入社した24年前、同社の女性は結婚したら退職するのが当たり前だったという。しかし、「ずっと働き続けるためにはどうすればいいか」と考え、仕事に取り組んだ。そして、現在、女性社員で唯一の管理職となり、女性のトップとして後輩の憧れを集めている。
入社したのは、同社で4年制大学卒業の女性採用が始まって5年目のこと。生活に密着した産業で、新事業を展開する会社に将来性を感じて志望した。最初の配属先は、組織の改定や会社の意志決定に関わる稟議書、役員会議の資料などを作成する総合企画室。ただし、女性の仕事は男性の補助業務で、お茶くみやコピー、ワープロ打ちなどが中心。さらに、当時、日本の多くの会社がそうであったように、女性は結婚すると辞めるのが当然という空気があった。「仕事が好きでも結婚のために去っていく女性を何人も見送りました」と打ち明ける。
そんな環境にあって、一瀬さんは「結婚や出産に関わらず、ずっと仕事を続けたい」と強く思っていた。そこで、2つのことを心がけた。「ひとつは、上司に『そこにいなくてはならない人になれ。大所高所からものを見よ』と言われ、高い意識で仕事に臨みました。もうひとつは、自分で天井を作らず、何事もひるまずチャレンジしようと決めていました」。また、「仕事をください。もっとできます」と口に出し、周りにあきれられたこともあった。そんな姿勢が認められ、「たくさんチャンスをいただいた8年でした」と振り返る。
総務広報部広報室を経て、2003年人事労政部へ。給与や福利厚生などの担当で、専門用語が行き交う世界だった。「言葉の意味さえ全くわからず、しばらくは私の居場所じゃないと悩んでいました。でも私、根が楽観的だから、できないことはそうそうないと思っているんです。わからないことがあれば、勉強すればいいし、教えてもらえばいい。何度も失敗しながら、懸命に業務を学んでいきました」。努力は実を結び、2012年マネジャーに抜擢された。同社の女性初の管理職としてプレッシャーはないかと尋ねたら、「実は、マネジャーになる前のほうが苦しかったんですよ」と話す。何年も前から、上司や幹部に「管理職になるのを期待している」と声をかけられ、健康保険組合の事務長やリーダー的な仕事を任されてきた。「管理職だけが目標ではないけれど、チャンスはつかむと決めていたので、任されたことは一生懸命やりました。それに、私がこけると、あとの女性が続かない。私のせいで女性はダメだと思われないように、ずっと気を張っていました」。
そんな中、ふと肩の力が抜けた出来事がある。5年前、会社の計らいで、管理職を目指す女性対象のセミナーに参加。実体験に基づく女性講師の言葉が深く心に響いたという。「女性だから男性と同じことをやっても評価されない、もっと頑張らなきゃと思い込んでいませんか?女性に求められる役割も果たさなきゃと思っていませんか?そう言われて、ハッとしたんです。私は勝手に背負いすぎていたんだなって。それに、同僚や上司が私のことを気にかけてくださって、よく話を聞いていただき、こうじゃなきゃと凝り固まっていた心が溶けていきました」。
この10年ほどで社内の風土も変わり、結婚しても出産しても働き続ける女性が増えている。管理職になった今、「男女は全く関係ない。自分に与えられた場と役割で、最大限に頑張るだけ」と言い切る。そして、自らの経験を通して、あとに続く女性に伝えたいことがある。「肩肘を張らなくても、自分らしく頑張ればいい。無理しすぎると辛いけど、チャレンジしなければ成長はない。成長を意識しながら仕事に向き合うことが大切だと思います。そして、辛くなったら、いろんな人に話してみてほしい。私は優しくあたたかい人ばかりの会社で働かせてもらい、仕事を通して成長できて、本当に幸せです」。一瀬さんはこれからも自分らしくチャレンジを続ける。 (2014年7月取材)
旅行が好きで、30歳くらいから年1、2回は海外旅行へ。学生時代の友人や会社の同僚などと、20数か国を訪れた。「年末は念願だったNYでカウントダウンをしました。これからトルコ、アメリカのアンテロープキャニオンに行ってみたいですね」。
長崎県佐世保市生まれ、福岡市育ち。西南学院大学文学部卒業後、1990年4月に西部ガス株式会社に入社。総合企画室、総務広報部広報室勤務を経て、2003年より人事労政部勤務。リーダーを経て、2012年、人事労務部人事サービス室マネジャーに就任。総務広報部広報室マネジャーに就任後、2018年、総務広報部部長に昇進。
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