【ロールモデル】
ロールモデルとは
北九州市男女共同参画審議会前会長 九州女子短期大学元教授・生涯学習研究センター元所長
九州女子大学・同短期大学などで長く教鞭を取ってきた平田トシ子さん。同時に北九州市男女共同参画審議会委員として女性の活躍の場を広げるために尽力。女性にとって決して恵まれたとはいえない時代を経験しながらも「しつこく、貪欲に、どこまでも」と希望を持ち、粘り強く生きてきた姿があった。
教師だった両親の背中を見て育った平田さんは、迷うことなく大学へ進学、教育行政について学びたいと広島大学教育学部に入学した。大学院への進学を目指すようになった時、待ち受けていたのは“女性だから”という大きな壁だった。希望していた研究室の教官に「女性は採らない」と言われたのだ。1960年代後半、世の中は『女子学生亡国論』が花盛り。文系の学部が女子学生の花嫁修業の場と化しているという酷評が新聞や雑誌を賑わせていた。「頑張れば認められると思っていましたが違いました。女性の1番は男性の50番と同じだと言われたこともあります」。企業も女性はなかなか採用しない時代、学問の世界でもそれは変わらなかった。
そんな中、女子学生の進学を認めた日本東洋教育史の研究室へ。そこで平田さんが結婚後も研究を続けることに理解を示す男性と知り合い、家庭と研究の両立をする覚悟で結婚を決めた。博士課程1年の終わりで第一子を授かり、日中は下宿先の大家さんに子どもを預けて大学へ通い、帰宅後は授乳しながら論文を書き続けた。
その後に起こった大学紛争の影響で、夫の異動が早まることに。広島の大学院に在学中だった平田さんが通常3年かかる博士課程の単位取得を2年で終わらせたのは、「途中で投げ出したくない」という思いからだった。
広島から長崎へと異動後、1970年には夫が福岡教育大学勤務となり福岡へ。3児の母となった平田さんは、夫の協力を得ながら、非常勤で大学に勤めるようになった。専門は教育行政学や教育法規。担当する授業以外の時間は、比較的融通がきいたため、子どもたちが通う幼稚園では、人形劇やコーラスなど保護者会活動にも参加。社交的な性格から、ネットワークも広がっていった。
40歳の時、九州女子大学から、常勤にならないかと声がかかった。この機会を逃したら、二度とチャンスはないかもしれない。ところが、お腹には4人目の命が宿っていた。助け手になったのは、幼稚園のお母さん仲間だった。「同じ時期に出産のお母さんがいて、しかも彼女は保育科を出ていました。ありがたいことに、双子だと思って面倒をみると言ってくれたんです」。ベビーシッターを引き受けてくれた友人に今も感謝の気持ちは尽きない。
平田さんの思いと研究とが実を結び、「女性学」が必須科目となった。この講義は大いに学生の興味を引き200人の大講義に。かつてPTAの講演会で聞いた国文学者の寿岳(じゅがく)章子さんの言葉“言いたい時に、言いたいことを、言いたい人にきちんと言う”が心にしみ、女性がそうできる世の中を作ろうと啓発活動に励んだ。矛盾を感じながら切り開いてきた我が道を振り返り、学生には『女性学』を身につけさせて社会へ送り出すことが自分の使命だと信じて。
2011年に公職を退いてからも、各地で講演活動に力を注いでいる。小中学校での講演では、「自己管理能力、表現力は男女ともに必要なこと」と力説。平田さんが作ったテキストには未来をつくる学生たちへの切実なメッセージが刻まれている。「私の体、私の心、私の未来、全て私のもの、だからしっかり考えよう」。
女性たちへメッセージを求めると「自分の良さをしっかりつかんでいれば、ぶれることはありません。信念を持って続けること。しつこく貪欲にどこまでも!」とはじけるような笑顔を見せた。
(2013年10月取材)
ガーデニングが趣味の平田さん。どんなに忙しくても花と接すると気持ちが落ち着くからと、若い頃から庭いじりをしてきた。「これからもっとお庭をきれいにして、お母さんやお年寄りが立ち寄れる“しゃべり場”を作りたい」と目を輝かせる。もう一つ、夢中になっているのが田上菊舎の俳句の会。新聞の俳句欄にも句をしたため投稿、掲載される日がくることを夢見ている。
山口県生まれ。1971年に広島大学大学院 教育学研究科 博士課程修了。福岡教育大学、近畿大学九州短期大学、下関市立大学、九州女子大学などで非常勤講師を務め、1985年、九州女子大学文学部助教授、1994年、短期大学教授、1996年からは両大学で教務部長を歴任。2007年、九州共立大学・九州女子大学・同短期大学生涯学習研究センター所長を兼任し、教育行政学、教育法規、ジェンダーと社会、インターンシッププログラム、ボランティアコースなどを担当した。2009年、九州女子短期大学教授・センター所長を定年退職。2009年~2011年、佐賀県立男女共同参画・生涯学習センター事業部長を務めた。著書に「女性勝手学のすゝめ」(小田謄印社)ほか。
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