【ロールモデル】
ロールモデルとは
一般社団法人 宗像医師会 在宅支援室 訪問看護ステーション ケアプランサービス 室長 / 訪問看護 管理者
病気や障害があっても、住み慣れた地域や家庭で暮らしたい。人生の最期は自宅で迎えたい。そんな願いに添い、自宅での療養生活を支援する訪問看護。医師やケアマネージャー、薬剤師などの専門職と連携し、看護ケアを提供する。「患者さんやご家族と深く関わる仕事なので、やりがいがあります」と話す阿部久美子さん。「心を添える看護」をモットーに、宗像の在宅医療を推進している。
大分県で生まれ育ち、看護専門学校卒業後は、学生時代に実習等でお世話になった別府医療センターに就職した。看護師長や先輩の「待ってたわよ」という温かい声が、とても嬉しかった。和気あいあいとした職場で楽しく働いた。
4年間の病棟看護師時代、忘れられない出来事がある。末期がんの30歳くらいの夫と献身的に看病する妻。仕方がないことだが、看護師が患者のケアで入っていくために残り僅かな時間を夫婦2人で過ごせないでいた。「見るに堪えられなかった。二人の時間を過ごすことができないのかぁって思ったんですよね」。このときの想いが、今も訪問看護の原点だ。
26歳で結婚し、千葉県で過ごした阿部さん。長男が病気がちだったため、しばらく専業主婦として暮らした。宗像市に転居し、10年ぶりに看護の仕事に復帰。最初の仕事は月2回、市役所の健康診断だった。
その後、市役所が訪問指導の事業を始め、指導員として勤務。自宅療養中の家庭を回ってさまざまな相談に応じたが、市の指導員という立場上、医療的なケアはできなかった。苦しむ人を目の前にしながら、何の処置もできないことが辛かった。そんな折、宗像医師会が訪問看護ステーションを立ち上げたことを知り、転職を決めた。
ところが今度は、新しい不安が発生。10年の間に医療は進歩し、看護現場では経験したことのない処置が行われていた。知らないケースに出合うたびに、阿部さんは医師に頼んで実習を受けた。「新しいケースは勉強のチャンス。教えてくださいと言って、いろんな人に助けていただきましたね」。
阿部さんは、平成14年から管理者になった。経営、人事、教育、営業、顧客管理など多岐にわたる業務は、小さな会社の経営者と同じ。訪問看護の現状や改善策を伝え、関わる人すべてが困らず、患者を支えられる仕組み作りに努めた。平成24年には、宗像医師会が「むーみんネット」(宗像医師会在宅医療連携拠点事業室)を立ち上げ、多職種の協働による在宅医療の連携がさらに進んだ。
また、訪問看護師のレベルアップにも力を注いできた。一人で訪問先を担当する看護師は、看護技術のほかにも総合的な医学知識、コミュニケーション力、緊急時の判断力など、より高い専門性と柔軟な対応力が求められる。研修を行い、看護師が自信を持って働ける体制を整えてきた。
訪問看護ステーションでは、月平均120~130人の利用者がいる。その中でターミナル(終末期)は約1割。自宅での看取りに備えて「死へ向かうリーフレット」を作成し、丁寧に説明をしている。死を迎えるときの身体の変化、家族がするべきこと、近親者が集まるタイミングなど、きちんと伝えることで漠然とした不安を払拭し、精神面でも家族を支える。
「自宅で看取ったご家族は、お互いの絆を深め、悔いを残しません。ご家族の介護力を高め、次の世代に伝えていくことも、訪問看護師の大切な役目だと思うんです」。
今後はさらに宗像の地域力をアップし、ご近所同士でも支え合える環境作りをするために、訪問看護の立場から発信していくことが目標だ。 (2013年12月取材)
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「キャビンアテンダントのような訪問看護師とケアマネージャーがいる事業所を目指そう」と、平成25年11月にメイク研修を実施。宗像医師会で働く全女性に呼び掛け、ビューティーサロンの講師を招いて「白衣に似合うメイクアップ術」を行った。「医療現場で働く女性たちがイキイキ働いてほしい、という講師の考えに共感しました」という阿部さん。今まで化粧に興味なかった看護師が、「今日きれいよ」とお互い褒め合う会話が増えている。
大分県竹田市生まれ。国立別府病院付属看護学校卒業、現 独立行政法人 国立病院機構 別府医療センターに入職。26歳で結婚退職し、その後夫の転勤のため千葉県柏市で過ごす。宗像市に転居後、宗像市役所訪問指導員として仕事に復帰。平成7年、一般社団法人宗像医師会訪問看護ステーション就職。平成14年在宅支援室長、訪問看護管理者に就任。平成23年、訪問看護ステーションが第63回保健文化賞を受賞。平成24年より宗像医師会在宅医療連携拠点事業委員として活動。
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