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山田 眞理子(やまだまりこ)さん (2013年9月取材)

【ロールモデル】
ロールモデルとは

NPO法人子どもと保育研究所ぷろほ 所長 /九州大谷短期大学 名誉教授

子どもの心に寄り添える保育者を養成したい

 「子どもの心に寄り添える保育者を育てたい」。そんな思いを抱き続け、30年ほど大学で教鞭を執ったのち、2012年に「子どもと保育研究所 ぷろほ」を開設した山田眞理子さん。「保育者になった後、さらに学びを深められる場って、日本になかったんだもん」とはつらつと笑顔で語る山田さんは、自らの信じる道をまっすぐに歩んできた。

大学と現場で学び、ぶれない志を抱く

 心理学に興味を持ったのは、高校2年生の夏休み。心理学検査会社を営む伯父が聞かせてくれた話が、とてもおもしろかったのだという。心理学を学ぶべく、広島大学の教育学部へ入学。スキー部に入り、臨床心理学に魅せられ、大学生活を謳歌していた。だが、専門課程の3年次になると、アイデンティティを大きく揺さぶられることに。「カウンセラーは、いろんなことに苦しんでいる人に向き合う仕事。私は相手を引っ張っていきたいタイプなのに、先輩たちから『そうじゃない!相手の話をじっくり聞きなさい』と言われて…。私が通用しないと動揺し、自己否定感に苛まれた。結局は先輩がかけてくれた『誰かがあなたの一面を認めなくても、あなただけは“これも私なの”と認めてあげなさい』という言葉で救われたものの、心理学の深さと恐ろしさを思い知りましたね」と振り返る。
 その後、京都大学大学院へ進学。日本におけるユング心理学の第一人者として知られる河合隼雄先生のもとで、学びを深めた。一方で児童相談所のセラピスト、不登校児の家庭教師として現場も経験するうち、心に芽生えていた思いが確固たるものになった。「週1回、私が子どもに関わっても限界がある。毎日子どもと接する保育者が、少しでも心理療法的に関わってくれたら。少しでも多くの子がつまずかないように、子どもの心をケアできる保育者を養成したい」。

育休で得た経験や感覚、人脈が活きる

 28歳で九州大谷短期大学に就職し、幼児教育学科の講師となる。ところがわずか半年後、数年来の友人から突然プロポーズされ、結婚が決まったのだ。山田さんは学長におずおずと申し出た。「大阪の人と結婚するので仕事を辞めさせてください。子育てがしたい」と。すると学長は意外な言葉を投げかけてきた。「育児休暇を取りなさい。何年いりますか?」。山田さんが「10年ください。私は子どもが3人欲しい。3人目が3歳になるまでおよそ10年かかると思います」と即答すると、学長は「育児の経験をもち、10年後に戻ってきて」と全てを受け入れてくれたという。
 とはいえ、山田さんは完全に休んでいたわけではない。大阪に住み翌年に出産しても、半年に3日間の集中講義などで授業を継続。夫が有休を取り、大学の宿直室で赤ちゃんの面倒をみてくれた。1歳の長男を教室の最前列に座らせ、長女をおぶって授業したこともある。長男が3歳になると、福岡県穂波町(現・飯塚市)で「創造保育」を実践する保育園にほれ込み、近くに新居を構えて家族で移り住んだ。創造保育とは、子どもの心と体を大切にし、想像力豊かな感性をのばしていこうという保育。園との出合いが原点となり、山田さんは子どもと芸術・文化に関する様々な活動や、子どもを取り巻く問題にも取り組み始めた。「子育てを通していろいろな交流が生まれ、自分が広がりました」。
 そして3人目の子が3歳になると、完全復帰を果たした。11年の育休を経て、とんとん拍子に教授になった山田さんに、学内の風当たりは強かったという。「結果を出すしかない」。小人数クラス、保育心理士の資格制度の設立など、育休中に磨きをかけた発想力や実行力、豊かな人脈をもとに大学に新しい風を吹き込み、周りに認められていった。

変わりゆく環境の中で、子どものために

 昨年、大学を退職して「ぷろほ」を設立した。小倉駅にほど近いビルの一室で、保育者を対象に多様なクラスを開講している。「保育士として働き出したあとも、学び足りないことや悩むことが多々ある。ここで実践する力をつけてほしい」と力を込める。立ち上げに際して「採算が取れない」と冷ややかな反応もあったが、「社会が必要としていて、自分にできそうなことはやるしかない」と志を貫いた。今では九州各県や福島、滋賀から通う人も。山田さんの思いは確実に広がっている。
 「いつの時代も子どもは変わらないけど、とりまく環境が変わっていく。母親は孤立し、子どもはメディア漬けになり、自然や芸術体験が失われ…。だからこそ、静かに苦しむ子どもや保育者に私は何ができるか、いつも考えています」。子どもと子どもに関わる人への愛情は、限りなく深い。「それがね、私が子どものときの写真を見ると、どれも弟や小さな子を抱っこしてるの」と微笑む。幼いころからあねご肌だった少女は、子どもをケアする人や組織づくりに情熱を傾け、ついに自分の理想とする場を誕生させた。60歳からの再出発、「とっても楽しいわよ」と満面の笑みで目を輝かせた。

(2013年9月取材)

コラム

私の大切な時間

 趣味について尋ねると「うーん、うーん…」としばし考え、「趣味を持たなきゃいけないほど、ストレスためてないね。大変なことはあっても、嫌なことはしていないし、全部私の時間。仲間との飲みとか芝居、和太鼓なんかも好きだけど、趣味とは違う」とあっけらかんと笑う山田さん。3人の子育て期も、楽しくて仕方なかったという。「子どもの一挙一動がおもしろかった。保育は子どもとするもの。困ったら、子どもにどうしたらいいか聞くの。どうしたら喜ぶかなって考えるの。子育てのパートナーはあくでも子どもですよ」とアドバイスしてくれた。

プロフィール

群馬県生まれ。広島大学教育学部卒業後、京都大学大学院教育学研究科修士・博士課程修了。京都大学では河合隼雄先生のもとで心理臨床、箱庭療法などを学ぶ。心に寄り添える保育者養成の必要性を感じて、九州大谷短期大学幼児教育学科に就職。在職中に「保育心理士」資格を立ち上げた。大学を退職後、保育者になった後の学びの場を作るべく、2012年NPO法人「子どもと保育研究所 ぷろほ」を設立。NPO法人「チャイルドライン もしもしキモチ」代表理事、NPO法人「子どもとメディア」代表理事。

 

 

 

 


 

 

 

 

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