【ロールモデル】
ロールモデルとは
楽しい食卓株式会社 代表取締役、実践食育研究家・料理研究家
テレビの料理コーナーや講演会などで活躍する宮成なみさん。明るい声と笑顔が印象的だが、実は16歳で難病を発症。「食にはすごい力がある」と実感して料理研究家を志し、見事に夢を叶えた。
宮成さんが台所に立つようになったのは、5歳のとき。母が父の起業サポートと出産のため、多忙になったのがきっかけだった。まずは味噌汁を温め、次にフライパンで目玉焼きと、朝ご飯からスタートしたが、失敗は数知れず。「最初から上手にできなくて当たり前。続けていくことが大切なのよ」と母に励まされ、少しずつ腕をあげていった。妹は部活に入ったのに、宮成さんだけは家事があるから入部できず、友達と遊べる時間も少ない。「なんで私だけ、と不満に思ったこともありますよ。でも、料理は私の生活の一部になっていて、面倒だけど好きでした」。
高校1年生、16歳の冬のこと。突然、病魔が宮成さんを襲う。大量の血尿と高熱が続き、即入院。病名は結節性動脈周囲炎。現代の医学では治らず、発病から5年で8割の患者が亡くなる難病だった。進行を遅らせる唯一の道は食事療法。1年の闘病生活の末に退院するとき、医師から「社会復帰は無理。1年後に再入院になるでしょう」と告げられた。
当時、身長164cmで体重40kgをきる宮成さんは、普通の生活さえままならなかった。けれど、高校へ戻った。立ちくらみで体をぶつけ、青あざだらけ。1時間座っていられず、授業中に倒れることもしばしば。居場所がない。「やめたい」と母に訴えても、「やりもしないうちからできないなんて言うな!行くだけでいい。きつかったら、保健室で休めばいいから」と鬼のような形相で怒鳴られ、力ずくで家を追い出される毎日。でも、家に帰るといつも明るい母がいて、二人三脚で食事療法に取り組んだ。
7年半かけて、社会復帰できるまでに回復。「食が命をつくり、明日への力を育み、未来をつくる。母から学んだことを次世代に伝えるため、料理研究家になりたい」。その夢への一歩として、23歳でひとり暮らしを始めた。猛反対する父を説得してくれたのは、母だった。そのとき初めて母が本心を口にした。「あんたなら大丈夫。高校だって卒業できたやん。あのとき、優しい言葉ひとつかけてあげなくてごめんね。お母さんがおらんくなっても、幸せな人生を歩んでいける力をつけさせたかった。だから高校だけは卒業して、料理とか体調管理とか、自分でできるようになってほしかったの」。深い愛情に胸が震えた。
派遣会社に登録して、ようやく就いたのは営業職。料理研究家になるアテはないものの、屋号を書いた名刺を作って配り、自宅で友人に料理を教えたりもした。「ものすごく貧乏でも幸せでした。友人とお金を出しあい、節約レシピを考えておいしいものをつくり、食べる。笑いの絶えない食卓は、夢への活力になりました」。
転機は3年後。西日本新聞に載っていた食の記事に心を動かされ、自分のことを手紙につづり、記者あてに送った。すると取材を依頼され、シンポジウムのパネリストによばれ、レシピ本の出版も決定。現在は透析をしながら、テレビやラジオ出演、食育の講演など、幅広く活躍している。
難病と闘いながら、夢を叶えた宮成さん。胸にはいつも母の言葉がある。「『おいしいご飯をつくるには4つのコツがある。お金、時間、手間、知恵のどれかひとつをかけたらいいと。お金がなくてもおいしいご飯ができるように、あんたに体力がなくても、素敵な人生はつくれる。自分の手でつくっていくとよ』と教えてくれました。台所には、素敵な人生を歩む知恵がいっぱいつまってる。人生は今あるもので何ができるか、目の前の人に何ができるかを考えることが第一。それをしっかりやることで信頼され、幸せの連鎖が起こる」。最近は「どうしたら料理研究家になれますか」と聞かれることも増えた。「体力も人脈もお金もなかった私でも、夢を持ちやり続けることで叶えられた。今度はみんなが夢を叶える場をつくりたい」。台所からたくさんの幸せが広がることを願い、宮成さんはさらなる高みへと走り続ける。
(2013年10月取材)
宮成さんが夢を叶えてきた秘訣を聞くと、「私、『夢ノート』をつけているんです」と教えてくれた。入院中、気持ちを表に出せなくなったときに両親から小さなノートを渡され、誰にも見せなくていいから、好きなことを書くようにアドバイスされたのだという。それから20年ほど、ずっとノートをつけている。「自分がやりたいことを書いていたら、ほとんど実現したんですよ。夢だけではなくて、『嫌だ!』みたいなネガティブなことでも書くうちに冷静になり、前向きな気持ちになれます。おすすめですよ」。
福岡県田川市生まれ。現代の医学では治すことのできない難病・結節性動脈周囲炎を16歳で発病し、腎不全に。母親とともに7年半の食事療法を行い、無理といわれた社会復帰を果たす。26歳で著書「オトコをトリコにするメロメロレシピ!」を出版し、料理研究家に。現在は透析をしながら、食育講演会をはじめ、テレビ・ラジオの料理コーナーへの出演、レシピ作成などの活動を行っている。
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