【ロールモデル】
ロールモデルとは
キリンビールマーケティング株式会社 中部圏統括本部三重支社長(取材時:九州統括本部 佐賀支社長)
「福岡や佐賀では、支社長の会で女性にお会いしたことがないですね」。温かい笑顔で話す山口和子さんは、3400名ほどの社員を擁するキリンビールマーケティングの佐賀支社長。九州には大手企業の支社が数多くあるものの、女性支社長はかなり珍しい存在だ。41歳で支社長に抜擢された山口さんが、歩んできた道のりとは―。
自営業だった両親の影響で、子どものころから「女性も一生仕事をするのが当たり前」と思っていた。仙台の大学で学び、「生活にかかわる企業でキャリアを積みたい」と選んだのが、キリンビール株式会社だった。
1991年、総合職として入社。山口さんは東北支社に配属となり、特約店に受発注システムを導入するリテールサポート業務を担当した。「理解のある先輩方に恵まれ、充実した4年半でした」と振り返る。
次に異動した本社の広報グループでは、力不足を痛感する日々を過ごした。というのも、山口さんが担当したのは、アグリバイオや包装容器など、専門知識が必要な分野。プレスリリースを作成したり、記者の質問に応じて情報を集めたり…。段取りの難しさや仕事のスピード感に加え、初の東京生活で戸惑うことが多かった。
その後、静岡支社で営業企画を経て、営業部門のリーダーに。32歳での営業デビューに、自ら「水を得た魚のようだった」と表現する。「営業はトータルプロデュース業。ニーズをつかみ、いかにプロデュースするか。仕組みがうまくいけば、どんどん輪が広がっておもしろかったですね。それに、東北支社で業務の流れを知り、広報として相手にわかりやすく説明することについて考え抜いた経験が、営業で役に立ったんです」。
そんな山口さんが管理職になったのは、37歳のとき。キリン初の女性エリアマネージャーとして、35人もの部下ができた感想を聞くと、「えらいこっちゃと思いましたね」と大らかに笑う。「試験に受かったら、リーダーになれるというわけではないですもの。はじめは自分の理想だけで突っ走り、うまくいかなかった」という。女性スタッフに「女性の上司だから、わかってくれると思ったのに」と不満をぶつけられたことも。何よりコミュニケーションを重視して、一人ひとりと面談を重ね、信頼関係を築いていった。
順調にキャリアアップしてきたようだが、実は「20代後半は“かもしれない症候群”でした」と打ち明ける。「結婚するかもしれない、子どもを産むかもしれない、バリバリ働けないかもしれない…。決まってもないことに気をとられ、何もかも中途半端。自分で自分にブレーキをかけていました。でも、仕事って厳しいもので、そんな状態では成果が上がらず、評価されない。だから、枠を取り払って、今、大事だと思うことを全力でやると腹をくくったんです。そしたら、全てがうまくいくようになりました」。
佐賀支社長になって4年目。女性の支社長は2人目だが、本人は「自分も同僚のことも、男性か女性かというのは気にしたことがない」という。「私の役割は、チーム一人ひとりが最大限に力を発揮できる環境を整えること。会社で働く以上、男女関係なく、それぞれ立場や状況は異なっても、納得できる成果を出せるよう毎日を充実させてほしいですね」。
佐賀支社の社員は、山口さんのことを「私たちに自信を与えてくれる人」と評する。「揺るぎない信念を持ち、率先して働く姿を見て、みんなのやる気も高まります」と信頼を寄せている。
「これまで公私ともにいろんなことがあったけれど、いつも自分がいいと思う道を選んできたんですよね」と目を細める山口さん。20代後半で覚悟を決め、全力で仕事に向かい、今は余裕も出てきたと語る彼女の横顔には、すがすがしい空気が満ちていた。
(2013年6月取材)
背筋をスッと伸ばし、さっそうと歩く姿が美しい山口さん。「インド舞踊を習っているんです」と聞いて、納得した。もともとインドの映画や料理、テキスタイルが好きだった、自称・インドおたく。2003年からインドの古典舞踊を習い始め、今では舞台やレストランで披露するほどに。衣裳のサリーは、インドでオーダーメイドする本格派だ。「インド舞踊は、体と脳と心にもいいと思います。ただ、リラックスする時間ではなく、仕事と同じように、本気で踊っているんですけどね」と楽しそうに笑う。
静岡県浜松市出身。東北大学を卒業後、1991年にキリンビール株式会社に入社。東北支社、本社広報、静岡支社、中部圏流通部を経て、キリンマーチャンダイジング株式会社(現在のキリンビールマーケティング)へ出向。キリン初の女性エリアマネージャーになる。2009年にキリンビールマーケティング九州統括本部佐賀支社長、2014年から中部圏統括本部三重支社長。
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