【ロールモデル】
ロールモデルとは
特定非営利活動法人ソルト・パヤタス 事務局長
フィリピンの首都マニラ。パヤタスという地域に広大なゴミ投棄場がある。分別されずに捨てられたゴミの山は、炎天下にさらされ、強烈な悪臭を放っている。高さ30mもの巨大なゴミ山を歩き回り、金属やプラスティックなどを集める人たち。ゴミをリサイクル業者に売って生計を立てる彼らは「スカベンジャー」と呼ばれ、数千人にのぼる。中には子どもや女性の姿も…。
ゴミ山周辺のスラムで暮らす子どもと女性を支援する、特定非営利活動法人ソルト・パヤタス(以下、ソルト)。1995年に団体を立ち上げ、事務局長を務めているのが小川恵美子さんだ。
小川さんが初めて現地を訪れたのは、高校の英語教員になって3年目のこと。国際協力に興味があり、夏休みを利用してNGOのスタディツアーに参加。パヤタスの家庭にホームステイした。「ゴミ山のすぐ近くで、とにかくひどい匂い。トイレも水道もない。想像を絶する状況でした。でも、洗濯物やご飯を作る匂いが漂って、そこには確かに生活があった。私には、事実を受け止めるのが精一杯でした」。ツアーで出会った保育士の女性に誘われ、極貧家庭の子どもが通学するための費用を支援する任意団体ソルトをふたりで立ち上げた。「小学校すら通えない子どもが多く、貧困の連鎖から抜け出せない。何よりも教育が大切だと思ったんです」。友人は仕事を辞め、マニラで活動。小川さんは日本で教員を続けながらスポンサーを探し、19人の奨学金支援を始めた。
1年で友人の貯金が底を尽きると、今度は小川さんが夫とパヤタスへ。夫は同じツアーで知り合った会社員で、活動に協力的だった。現地の会社で働きつつ、ソルトのフィリピン法人を設立。「事務所という場ができると、人が集まって動き出すもの。数年だけ現地に滞在する駐在員の妻や留学生たちが、バトンをつなぐように活動を手伝ってくれました」。帰国後は東京の国際緊急支援団体に就職して、4年かけてNPOの運営や経営実務を学んだ。
2000年7月、衝撃的な出来事に見舞われた。長雨によって、パヤタスのゴミ山が大崩落。奨学生の子どもや多くの知人を含む、数百人が亡くなったのだ。「自分のやっていることに意味があるのか…無力感に襲われました。でも、活動をやめたら、命を落とした人たちのことや現状を伝える場がなくなる。続けていけば、なんとかなる」と自分を奮い立たせた。
2000年から、女性に働く機会を創る活動をスタート。小さな子どものいる現地のお母さんでもできる仕事として、刺しゅうをあしらった手芸品を生産・販売しはじめた。2010年には、その女性たちが自分たちのグループをLikha(リカ)と名付け、売上金の一部を教育支援事業に寄付するようになった。日本人からの寄付とLikhaからの寄付で運営されている現地の小さな図書館では、奨学生が運営にかかわり、読み聞かせなどを行う。
争いや麻薬、諦めの気持ちが蔓延して、互いに警戒して暮らしていたスラム。ソルトの影響で少しずつ意識が変わり、コミュニティが生まれた。「子どもも大人も、歯を食いしばって自力をつけることの大切さ、そして人と協力する喜びを実感してくれたようです」と手ごたえを感じている。
2007年、夫の実家がある福岡へ拠点を移した。これまで約250人に奨学金を出し、大学まで卒業する子も出てきた。また、主催するスタディツアーには年間350人ほどが参加。「現地の人にとって、ツアー参加者との交流がエンパワーメントになっているんですよ。自分の生活や夢を語ることで、想いがより確かなものとなっていく。参加者とエネルギーのキャッチボールをしている感じ」と笑顔で話す。
今後の展望を尋ねると、小川さんは意外なことを口にした。ソルトの原点であり、20年近く活動の核だったスポンサーによる奨学金制度を、2015年末にはやめるという。「お母さんたちの事業を強化して、今度はお母さんたちに地元の教育を支えてもらうつもりです。今Likhaでは黒字が出たら、その3割で奨学金を支援しようとしています。2010年、Likhaが支援を受ける側から、する側になったとき、お母さんたちが心から喜ぶ様子に感激しました。そのとき思ったんです。スポンサーが一生支援することはできない。みんなだって、支援され続けたいわけじゃない。人は自分の力で立ち、人の役に立ったとき、本当の幸せを感じられるのかも、と」。現地の人たちが主役となり、助け合い高め合うサイクルを作る―それが、みんなで話し合いを重ね、たどりついた結論。16年以降、Likhaと奨学生の保護者が活動の運営と責任を担う。ソルトは彼らに寄り添い、お互いにエンパワーしていく。そう決断したとき、現地の人も小川さんも涙を流したという。
「ビジョンを実現するために、日本でもLikhaの製品を広めていきたい」。小川さんの新しいチャレンジは始まったばかり。「自分を信じることがパワーになる。できる、やるんだと思う気持ちが大事ですよね」。ふわりと柔らかく微笑む小川さんの瞳には、揺るぎない意志と希望の光が宿っていた。
(2013年1月取材)
特定非営利活動法人ソルト・パヤタス ホームページ:http://salt.or.tv/
福岡の自宅兼事務所をベースとして、月1回はマニラの事務所を訪れ、1年の3分の1をフィリピンで過ごす小川さん。仕事で福岡と東京を行ったり来たりしている夫と顔を合わせるのは、月に数えるほどという。そんなふたりがここ数年ハマっているのは、歴史ものの韓流ドラマを見ること。「夫婦ともに好きなのは『チャングムの誓い』。頑張っている女性が主役で、ドキドキしたり、感動の涙を流したり…世代を超えて楽しめると思います。実は最近フィリピンでも韓流がブームになっていて、共通の話題で盛り上がることもあるんですよ」と楽しそうに語る。
福井県で生まれ、公立高校の英語教員に。25歳のとき、フィリピンのスタディツアーに参加して、そこで知り合った女性とソルト・パヤタスを設立。1996年から6年半、会社員の夫とフィリピンに滞在。現地のマーケティング会社、監査法人で働き、帰国後は東京の国際緊急支援団体で4年ほど働く。2007年に夫の実家がある福岡に事務所を構え、NPO法人ソルト・パヤタスを設立。2011年に福岡県デザイン協議会によるマッチング型デザイン開発相談を活用し、パヤタスで生産する刺しゅう製品のブランド「Atelier Likha(アトリエリカ)」を立ち上げた。西日本国際財団アジア貢献賞(2009年度)や福岡市市民国際貢献賞(2010年度)などを受賞し、2012年には日本テレビ「24時間テレビ」でも紹介された。
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