【ロールモデル】
ロールモデルとは
取材時:牛乳屋「イーハトーブ」 代表
糸島のおいしい牛乳をたくさんの人に届けたい—。2010年、糸島市に牛乳屋「イーハトーブ」を立ち上げた。自宅横の倉庫を改装した小さな店舗。扱うのは、牛がストレスなく自由に動き回りながら、糸島の牧草や飼料イネを食べている小島牧場(同市)の生乳で作った低温殺菌牛乳。「生クリームのように甘い」と評判だ。理想を求めて牧場と工場に直接掛け合い、生産ルートから自分で開拓した糸島生まれの牛乳。天の川(ミルキーウェイ)からヒントを得て「銀河の雫」と名付けた。
今年で販売3年目。自分の足で営業し、取扱店は福岡市内を含めて20軒に広がった。製菓や飲料の材料に使う店も増えている。
動物が好きで「なんとなく農学部に進んだ」という榊さん。福岡県の農業改良普及員をしていた20代前半、和気あいあいと夢を語り合う糸島の酪農家たちと出会った。牧場コンサート、生乳試飲といった酪農PRイベントを一緒に企画し、大成功。「こんな勢いのある酪農家と、たくさんの消費者をつなぎたい」。初めてはっきりと自分の夢を描けたが、その矢先に結婚話がまとまった。相手は東京勤務だったので、泣く泣く退職。「自分で選んだ道とはいえ、心残りは大きかった」。
結婚して千葉県で再就職し、長女を授かった。だが、保育園と自宅、職場を行き来する日々に疲弊し、また退職。その後、夫の転職で福岡に戻った際、飲食店を知人と起こしたが、経営方針の違いによるストレスから体調を崩した。店は閉じ、夫の転勤で今度は愛知県へ。「食や農の世界には、もう目をつぶろう。起業なんて簡単じゃない」という気持ちになっていた。
3年ほど家にこもりがちの生活をしていたが、縁あって同県豊田市で公民館主事を務めていたある日、回覧用のチラシになんとなく目が止まった。まちと農山村をつなぐ起業を目指す人などが学ぶ「豊森なりわい塾」の案内だった。「昔、酪農を応援したいと思っていたな」。試しに参加して、農学博士の澁澤寿一実行委員長に気持ちを語ると、「思いを形にするのは、あなた自身」と背中を押された。結婚したとき不完全燃焼で終わらせた夢に、空気が送り込まれたような出会いだった。
振り返れば、公民館で企画したイベントも、牧場でのキャラメル作りなど食や農がテーマになっていた。「やっぱり私、この世界が好きなんだ」。心の叫びに気づいた。それが2009年のこと。家族と話し合い、主事を辞めて福岡で起業に向けた準備に奔走した。翌年にはイーハトーブをオープン。今は夫も、店と家事を手伝ってくれている。
農村は男社会。最初は「女が出しゃばって…と見られるかも」という自己規制が胸につかえたが、夫の言葉にハッとした。「男は『助けて』って言いにくい」。榊さんにそんな“意地”はなかった。「女性の強みもある。自分ができないことはできないと言えば、助けを借りながらやれると、発想を転換できた」。
47歳での起業。「子育てやストレスからの不調を経験して、忍耐強くなってからの起業でよかった。会社は3番目の子ども。いい時もあれば悪い時もあると長期的な視点で構えられる」と前向きだ。榊さんの夢はまだ途上。カフェをつくり、幅広い牛乳の楽しみ方を提案したい。地元産の牛乳を飲むことは、牧草を育んでいる地域の自然を守ることでもあると伝えたい…。思いは、どんどん広がる。
夢の実現に必要なのは「人との信頼関係」と榊さん。出会いや支え合いを人生の“土壌”とすれば、その中で夢が根を張り、芽を出し、幹を伸ばし、結実する。自身が大切にしている思いだ。後進へのメッセージを尋ねると、「結婚や育児で人生が小休止しても、人それぞれ夢を叶える時期があるはず。焦らないで」。回り道を糧にしたからこその、自然体の笑顔だった。
(2012年7月取材)
昔から動物が大好きな榊さんにとって、一番の癒しは“アニマルセラピー”。1年前にドライブ先で拾ってきたメス猫「あずきちゃん」をなでていると、仕事の疲れも吹き飛ぶという。「この子は、人と人の間に割り込んで、ごろーんと仰向けでお腹出して寝ちゃうんですよ。面白いでしょう?」。気ままで、かつ無防備な姿でウフフと笑わせてくれる、大切な家族だ。
山口大学農学部卒業後、福岡、千葉両県で通算8年間、農業改良普及員として勤務。退職後、夫の転勤に伴い、福岡県宗像市や愛知県豊田市など転々としながら子育て。2009年起業準備を開始、2010年6月から2014年7月までイーハトーブ経営。夫と長女、長男の4人家族。
キーワード
【さ】 【起業】 【農林水産】