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柏原 敬子(かしはらけいこ)さん  (2012年7月取材)

【ロールモデル】
ロールモデルとは

取材時:航空自衛隊空将補・第3術科学校長兼芦屋基地司令

よりよき社会を創造するために自分を磨く

 2010年、日本の自衛隊で初めて「女性基地司令」になった柏原敬子さん。山口の防府南基地司令を経て、2011年には遠賀郡芦屋町にある航空自衛隊芦屋基地の司令に就任した。同基地で第3術科学校長も兼ねており、隊員と学生あわせて、約2000人ものトップを務める。

原点は出身大学のスクールモットー

 重厚感漂う司令室。基地トップとの対面に、緊張気味の取材陣を迎えてくれたのは、とてもエレガントで物腰の柔らかい女性だった。気取らずユーモアを交えた話に、司令室は明るい笑い声に包まれた。
 学生時代のことを聞くと、中学と高校ではスコートに憧れてテニス部に入ったものの、1年ほどで退部したという。「私、何かを続けるのが得意じゃなかったんです。なのに、自衛隊にはこんなに長く勤めるなんて…」と冗談めかして笑う。
 そんな柏原さんを自衛隊へ導いたのは、母校・関西学院大学のスクールモットーである「Mastery for Service」。「社会奉仕のために自らを鍛錬する」という理念に深く共感して、将来は人の役に立てる仕事に就きたいと考えていた。当時、4年制大学の女性が就職試験を受けられる機会は、ごくまれ。合気道の部活で交流のあった女性の先輩が自衛隊に入隊したことを知り、「上下関係があり、規律正しい自衛隊の世界なら、自らを鍛えつつ、社会へ貢献できるに違いない」と航空自衛隊を選んだ。
 柏原さんが入隊した33年前は、女性自衛官の採用が始まって、まだ5年目。幹部候補生学校の同期は、男性150名ほどに対して、女性は5名だった。「女性というだけで珍しがられて、まるでパンダみたい。全寮制の生活は、早朝からラッパで起こされ、夜まで分刻みのスケジュール。とにかく追いまくられるハードな生活でした」と振り返る。男女ともに次々と辞めていくなか、10か月後に残った女性は3名だった。

きちっとした階級社会だから、働きやすい

 主に総務・人事の畑を歩んできた。女性新隊員の教育担当を経て、24歳のとき、男性の新隊員区隊長になった。女性が男性を教育するという、画期的な人事。女性自衛官の採用を推進していた上司の後押しにより、実現したものだった。「元暴走族とか、やんちゃな隊員もたくさんいました。基地から逃げた隊員を探しに行ったり、眉毛をそり落とした隊員にマジックで眉毛をかいたり、とにかく手を焼きましたね。それでも、嘘をつかない、困っている人がいたら助けるなど、自衛官の基礎となる精神を育むべく、全力で取り組みました」。
「女のくせに、何で入ってきたの?」「女に何ができる」と、言われたこともある。それでも「仕事をやってみせるしかない」と考え、がむしゃらに頑張ってきた。30代だった93年には一部の例外を除き全ての職域が女性に開放され、女性自衛官も増加。女性幹部の交流団体「弥生会」の立ち上げを推進した。「今、考えると、若いころは肩に力が入っていましたね。階級があがるにつれて、仕事をしやすく、気持ちも楽になりました。自衛隊の世界は、完全に階級社会。だから実は、女性が働きやすい職場だと思います」と打ち明ける。

子育て中の自衛官にも優しい組織を目指して

 現在、女性自衛官は全体の5%ほど、陸海空あわせて約1万2千人いる。柏原さんは一般職の女性で初めて「将補」という少将にあたる高い階級についたことでも先駆者である。でも、「出世したいと思ったことはありません。『現場で隊員と一緒にやりたい』という思いから、ここ数年、希望を出し続けていた基地司令になれて、素直にうれしかった」と穏やかな笑顔を見せる。「私が若いころは“女性だから”と足踏みばかりさせられていたし、なりふりかまわず仕事に没頭するのがよしとされていました。でも、時代は変わりましたね。今は男女の障壁が少なくなり、仕事も家庭も大切にしようという考えが浸透してきています。自衛隊でも、男女共同参画に関する制度が整ってきました。あとは、意識の問題だと思います」。
 東日本大震災のときは、女性自衛官にも非常招集がかかり、子どもの預け先が問題になった。「基地内の空いている部屋を確保して、子どもを一時的に預かる仕組みを作りたい。その取組がもうじきスタートする基地もあります。それに、男性自衛官にも育児休暇を取得してもらい、イクメン自衛官も増やしたい。そのためには、こちらから積極的に声をかけていきたいですね」。
 同僚によると、柏原さんが司令に就任してから、基地全体の雰囲気が柔らかくなり、風通しもよくなったという。「女性初」の重責を担い、注目を浴びても、柏原さんに気負いは感じられない。しなやかに、揺るぎなく、現場の声に耳を傾けて。敬礼をして、さわやかに去っていく後ろ姿は、自衛隊における新しい時代の幕開けを物語っていた。

                                                                                                      (2012年7月取材)

コラム

わたしの大切な時間

「週末に夫とワインを飲んでいる時間かしら」と微笑む柏原さん。これまで33年間の自衛隊生活で、17回もの転勤を経験。27歳で結婚した夫とは新婚当初から別居で、結婚生活27年で同居したのは6年間だけという。月に2~3回、夫が暮らす静岡へ帰ったり、夫が芦屋へ来たとき、ふたりでゆっくり過ごす時間はかけがえのないひととき。「夫は仕事を辞めてと言ったことがなく、いつも応援してくれます。心から感謝しています」。

プロフィール

航空自衛隊 第3術科学校長 兼 芦屋基地司令。
大阪市生まれ。関西学院大学を卒業後、1979年、航空自衛隊に一般幹部候補生として入隊。主に総務・人事の仕事に携わり、2010年、陸海空を通して自衛隊初の女性基地司令として、山口県の防府南基地に着任。2011年8月、医療職を除く一般職の女性で初めて「将補」に昇格。同時に、遠賀郡芦屋町の芦屋基地司令に任命され、第3術科学校長も兼ねる。2013年8月航空自衛隊を退官。

 

 

 

 


 

 

 

 

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