【ロールモデル】
ロールモデルとは
博多織伝統工芸士
女性初の博多織伝統工芸士として活躍している伴さん。平成24年で16回目を数える女性の伝統工芸士展を全国に先駆けて主宰し、後進の指導にも尽力している。その功績が認められ、昨年度福岡県男女共同参画表彰の女性の先駆的活動部門で受賞した。数多くの作品展での受賞歴があるが、女性の活躍を表彰するこの賞が、まだまだ男性社会の伝統工芸士の中にいる自分にとっては一番嬉しかったと言う。
踏み板を踏み、緯(よこ)糸(いと)を巻いた杼(ひ)を通し、筬(おさ)を打つ。ひと織り、ひとおり、経糸(たていと)と緯糸が綾なし、新たな色彩を放ち、美しさが引き出される。その魅力にひかれ、どんな作品に仕上がるかワクワクして楽しくて仕方がないと笑顔で語る。色白の細面で細身の体だが、テニスやアーチェリー、スカッシュをしていたという腕は筋力があり、とても80歳過ぎには見えない。今の住まいに転居したのも東洋一のスカッシュコートが近くにあったからだとか。
つまみ画や水墨画を学び福岡の文化サークルでつまみ画の講師をしていた伴さんだが、陶芸を始めようと彫刻家の叔父に相談するも10年遅いと言われ、陶芸の釉薬と草木染が似ていることから機織りに転向。最初の2、3年は草木染で糸ばかり染めていた。何のために糸を染めているかを問い直し、それからはひたすら織り続けた。あるとき染色のための桜の木をいただいた方に、作品の袱紗を持っていくと非常に喜ばれ、いくつか購入したいとの申し出に初めて自分の作品が商品になることに気付いたそうだ。
本格的に博多織に取り組んだのは昭和55年。博多織というと帯のイメージが強いが、伴さんは博多織の伝統技法を着物に活かし、着尺の制作に取り組んだ。そして平成5年に女性初の博多織伝統工芸士に認定される。伝統工芸士は12年の経験をもって受験資格が得られ、難関の試験に合格しなければ得られないものである。
当時、女性の伝統工芸士はほんの僅か、全国どこへ行っても男性ばかり。そんな中、全国伝統工芸士大会に参加した数名の女性伝統工芸士の発案により開館間もないアクロス福岡での「女性伝統工芸士展」の開催が決まった。全国でも初の試みに東奔西走し、日本伝統工芸士会長の応援もあり、平成9年の開催にこぎつけた。大好評を得て、翌年、翌々年の開催へつながっていった。1回から数え各地からの出展者は述べ362名となり、来場者は述べ12万人を超えたそうだ。
その間、平成12年に日本伝統工芸士会に女性部会ができ、その会長と同時に日本伝統工芸士会の幹事にも就任。平成22年には女性部会が解散し「伝統工芸士・女性の会」を立ち上げ、代表となった。女性教育の先駆者であるおばあ様譲りで、積極果敢に女性伝統工芸士の発展に力を注いできた。その甲斐あって、伝統工芸士全体の数が減少している中、女性の伝統工芸士は緩やかではあるが増加している。現在は211産地4391名の伝統工芸士のうち、女性は93産地572名。伴さんからその数字がすらすらと出てくる。
私が80歳を過ぎても制作を続けられるのは水墨画でデッサンの基礎をしっかり勉強したから。どこを切り取っても面白いデザインにすることを徹底的に学んだそうだ。着物は全体を広げてみても、身にまとっても美しくなければならない。そのために5分の1の縮尺でデザインし、試し織りで色調を見てから本織りをする。決して同じものは作らないと言う。そうして完成した繊細さと斬新さを放つ作品には、「紫のデュオ」、「気まぐれのシンフォニー」、「冬へのエチュード」などクラシック好きの伴さんならではの名前がつけられている。
時間を忘れるくらい織ることが大好きという伴さんだが、東日本大震災には心を痛め、自身の昭和20年7月7日の千葉大空襲の経験と重なり、織れない日が続いた。明るい色が使えず、デザインのイメージ通りにはできなかったという。しかし出来上がった作品からは、深い慈愛と鎮魂の思いが伝わってくる。
いろいろな人たちと積極的に交流し、楽しみながら学んでいるが、次代を担う人たちに「人との交流を大切にし、日本の風土を理解し、日本人としての誇りを持って、伝統工芸品を大切にしてほしい」と願う。物の売れなくなった今の時代だからこそ、知恵と工夫で乗り切ってほしいと思う。これは捨てられてしまうものだけどと取り出した試し織の切れ端。これでコサージュを作ってみようと思うと。アイデアは次々に浮かび、将来の夢へとつなげる伴さんである。
(2012年7月取材)
もともとスポーツが大好きで3年前までは車を運転し、自然の中に身を置くことでリフレッシュしていた。今は、カラオケに行き大声で歌うこと。思いっきりおなかの底から声を出して歌うとスポーツで汗を流した後と同じ爽快感があるの。お得意は岸洋子さん、菅原洋一さん、越路吹雪さんの曲。それと中島みゆきさんの「糸」。伴さんはこの曲を織をする人のテーマ曲と言えるわと笑む。
昭和3年、千葉市生まれ。小学校3年より両親とともに仕舞(能)を習う。終戦の翌年、父親の実家のある福岡へ。昭和55年より本格的に博多織をはじめ、平成5年に伝統工芸士に認定。平成9年より「女性伝統工芸士展」を主宰。平成10年「伴工房」を立ち上げる。平成12年日本伝統工芸士会の女性部会が発足、会長となる。平成22年日本伝統工芸士会の女性部会が解散し、「伝統工芸士・女性の会」を立ち上げ、その代表となる。平成23年福岡県男女共同参画表彰の先駆的女性の活動部門での受賞。博多織デベロップメントカレッジ講師。博多織伝統工芸士会副会長。
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