【ロールモデル】
ロールモデルとは
NPO法人子どもの村福岡 村長・副理事長 / 福岡市こども総合相談センター 名誉館長
痛ましい事件があった。4月中旬、2歳になる長男ののどにパンを詰め込み、意識不明の重体にさせたとして28歳の主婦が逮捕されたのだ。体にはあざもあり、警視庁では日常的に虐待が行われたとみているという…。
「小児科医として、最終的にたどり着いたのが子どものそして、子どもたちを苦しめる心身への深刻な影響についても、みんな案じています」と語るのは、自身も小児科医として16年間の経験を持つ坂本雅子さんだ。
2003(平成15)年に福岡市の助役を退任後、 虐待をはじめ子どもに関わる様々な相談を受けるために、オープンされた福岡市こども総合相談センター(通称・えがお館)の名誉館長に就任。以来、職員の相談役にとして、虐待や家族と暮らせない子どもの養育など、社会が子どもを守り育てるための仕組みづくりに努力してきた。
また、2010(平成22)年4月、日本で初めて誕生したNPO法人『子どもの村福岡』には準備段階から関わり、現在は副理事長。さらに2011(平成23)年4月からは村長兼任となり、子どものための活動を続けている。
九州大学卒業後、坂本さんは国立福岡南病院(現九州がんセンター)へ就職する。小児がんの専門医をめざしていたが、風邪から未熟児や重い感染症など、あらゆる病気の治療に当たる毎日。いつしか大きなストレスが積み重なっていた。当時、子育てにも追われていたこともあってキャパオーバーとなった坂本さん。心身のリセットのために専門医をあきらめて、病院を替わる決心をする。
新しい職場は済生会福岡総合病院。「自宅の近くでしたし、嘱託医でしたから2人の子どもと過ごす時間も取れると思っていたのですが…」。次第に常勤のような勤務となり、外来だけではなく入院の子どもも受け持つようになる。母親として子どもとの時間を大切にしたいと思う一方、忙しくなるばかりの仕事。「これでは以前と同じことになってしまう」。坂本さんはまた16年の臨床生活をあきらめ、福岡市南保健所へ転身した。
保健所勤務後は、本庁で保健、福祉、医療などの政策を担う部門へ異動。それまでも学校保健や保育所担当など子どもに関わる部署への希望を出すが、叶わないままだった。「人には、したいことより、しなければならない仕事が与えられるのだと思いました」と語る。
保健福祉局で、保健福祉行政全般を担当した後の1999(平成11)年の春、坂本さんは福岡市長より「介護保険と環境対策に取り組んでほしい」との要請を受ける。
介護や環境に加え、新しい分野にもとの思いから、水道局と消防局も希望。「大変な仕事でしたが、政策決定の場に女性がいる大切さを感じました」。4年間の大役を果たした坂本さんは、悲願だった子どもに関わる部署、福岡市こども総合相談センターを希望した。
「やっと念願の仕事ができる…」。そんな時、坂本さんの目を開かせたのはカナダへの研修ツアーだった。日本は、家族と暮らせない子どもたちの育つ場所は、施設が主流だが、カナダでは親と暮らせない子どものほとんどは里親のもとで育ち、専門的なケアが必要な場合にのみグループホームのような小規模な施設に預けられる。
「日本は、国際的スタンダードから取り残されている!子どもに必要なのは家庭的な環境。こんな当たり前のことにやっと気がついた感じでした」。この体験が、里親普及事業へ、そして後の『子どもの村福岡』へと繋がっていった。
「これは、私たち大人が長い間取り残してきた社会全体の課題」と坂本さん。
(2011年4月取材)
「家庭的な環境で子どもを育てる。」「専門的なケアを提供する。」「社会的養護を社会化する。」日本初、世界で132番目に開村した『子どもの村福岡』には3つの役割があり、社会的養護に携わる人からは「日本のモデルだ」と大きな期待が寄せられている。
「この春から村長ともなった私ですが、この村が市民の方々に支えられ、そして子どもたちが地域の中で育てられるように、力を尽くしたいと思います。」
鹿児島県生まれ。1967(昭和42)年に九州大学医学部卒業後、小児科医として国立福岡南病院(現九州がんセンター)、済生会福岡総合病院を経て、1983(昭和58)年4月より福岡市の保健所に勤務。保健部長、保健福祉局医監。1999(平成11)年4月に福岡市の助役に就任。
現在、福岡市子ども総合センター名誉館長、NPO法人子どもの村福岡副理事長、子どもの村村長を務める。
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