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取材時:福岡銀行久留米営業部 副部長
「人生観は、信なくば立たず。人の信頼を得るには毎日の積み重ねしかありませんが、壊れるのは一瞬。だから、自分を律しておくことが必要なんです」。あたかも己に言い聞かせるかのように語るのは、福岡銀行久留米営業部で副部長を務める深町 芳さんだ。
京都の伝統校、同志社大学で経済を学び、社会へ出たのが1983(昭和58)年のこと。当時は男女雇用機会均等法の公布前だったこともあり、大卒女性を採用する企業は限られていた。「福岡で大卒女性に門戸を開いていたのは、そのときの私が知る限り、福岡銀行と他行1社くらいだけでした」。面接で、学生時代のアルバイト経験から接客への適性をアピールした深町さん。希望どおりに接客経験を活かせる支店へ配属とされ、洋々とした社会人生活のスタートを切った。
「お客様が私の声に耳を傾けてくださったり、何気ないお声をかけていただくようになったことは、本当にうれしいことでした」。深町さんは、上司や先輩はもちろんお客様に育てられ、忙しい中にも充実感のある新人時代を送った。
博多支店を経て、1986(昭和61)年に本店営業部の預金担当窓口へ異動した深町さん。
自信を持って業務に励む毎日だったが、1989(平成元)年、今度は営業企画部へ配属となり、広告宣伝の担当となる。
ここでの6年間が、深町さんの視野と人脈を広げる貴重な契機となった。広告代理店へこもり、デザイナーやコピーライターとアイデアを練り、ロケハンに飛び出す日々。その刺激と人の考えの多様性を知ったことは、そのまま成長の糧となった。
「在任中に銀行CMが解禁となり、TV番組『世界不思議発見』のミステリーハンター竹内海南江さんを起用した作品を創りました。それまで当行は堅いイメージでしたが、新しい面を訴求できたと思います」。事実、「あの福銀が…」と話題を呼んだという。
また、知り合った女性デザイナーも深町さんに大きな影響を与えた。その女性は子育てで忙しい身。それでもプロとしての仕事を果たす姿を目の当たりにして、自分も長く仕事に就いていたいと思うようになった。人生は出会い。この頃の仲間はいまも大切な存在だという。
広告担当にピリオドを打ち、本店営業部の外為グループへ異動したのは1995(平成7)年のこと。当時、課長代理に就いていたことから管理者の役割を期待されてのことだった。ただ、書類はすべて英語。語学が得意でなかった深町さんは、将来の自分に付加価値を付けようと決意する。
ファイナンシャルプランナーの資格取得をめざし、毎週土日の朝10時から夕方4時まで半年間にわたってスクールへ。AFPを取得後、さらに1年間の勉強を続け、1999(平成11)年12月、国際ライセンスであるCFPの資格を取得した。
「銀行が多様な金融商品を扱おうとする矢先のことで、FPの資格取得が奨励し始められた頃でした」。その後、けやき通り支店支店長を経て、本店でプライベートバンキンググループ責任者に。投資信託をはじめ資産運用の提案が主な業務は、専門知識を有し、接客に長けた深町さんにとって実力と個性を活かせる最適の部署だった。
昨年4月、久留米営業部へ異動し、副部長として部下の育成も努める深町さん。「私の背中を見せて育てたい」と締めくくった。
(2011年3月取材)
原則として土日がお休みです。1日はあえてボーッとしたり、のんびり読書などで過ごし、あとの1日はセミナーやCFPの勉強会に出かけています。
私は歴史が好きで京都の大学へ行ったのも、京都や奈良で寺社めぐりをしたかったから。左京区にある詩仙堂や曼殊院はあまり知られていませんが、心が落ち着くお勧めのスポットです。
福岡県出身。同志社大学経済学部卒業後、1983(昭和58)年4月に福岡銀行入行。博多支店、本店営業部を経て、営業企画部にて広告宣伝を担当。竹内海南江さんを起用したCMが話題になる。1999(平成11)年7月、課長へ昇格。同年12月にAFP資格を取得する。2002(平成14)年、けやき通り支店の支店長に就任。2005(平成17)年1月、本店営業部部長代理へ昇格。2006(平成18)年10月、プライベートバンキンググループ長に就任する。2010(平成22)年4月、久留米営業部副部長、2013(平成25)年1月、本部クオリティ統括部主任調査役を経て、2015(平成27)年3月退職。
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