【ロールモデル】
ロールモデルとは
国際連合人間居住計画(ハビタット) 福岡本部(アジア太平洋担当)・本部長補佐官
福岡市中央区天神のオフィス街に実は国連機関がある。国連には様々な専門組織があり、それぞれ目的別に作られているが、ここにあるのはラテン語で「居住」を意味する「国連ハビタット」だ。活動はより広い概念に基づいている。星野さんはここで本部長補佐官として働く。2004(平成16)年イラクの復興支援を担当した。幼稚園や小中学校といった教育施設の再建をはじめ、住宅・上下水道・電気などのインフラの整備を行った。「空爆を中心にした戦争で、被害は甚大でした。建設業者へ任せるのではなく、子どもの観点や女性の視点を踏まえた上で、人々の心の安定の礎となるようなまちづくりをしました。今もそう心がけています」と語る。
アジアの開発途上国の人道支援に尽力する星野さんだが、最初は会社員だった。「何年勤めるつもりですか?と聞かれ、定年退職するまでです。と答えるとびっくりされました。そんな時代でしたね」と。しかしその後人生を左右する出来事が起きた。
当時神戸へ赴任していた夫に会いに行った時、阪神淡路大震災に遭った。大学で教育者だった夫は学生の安否を確認していた。今のように携帯電話も普及してなく、安否不明だった留学生が確認されたのは遺体安置所。祖国の家族へ遺品を残すため、大学の先生たちと手分けをして被災現場へ行くと、瓦礫の山からたくさんのノートが出てきた。
「その日まで学習していたノート。今だったら卒業して、祖国と日本を架け橋になる仕事をしていたかもしれないですよね。何の理由もなく一瞬で亡くなった。あまりにも悔かった。この死を無駄にしない生き方とは何なんだろう?」と。理由を考え続けた結果、星野さんは会社を辞めた。
震災をきっかけに考え方が変わった。「災害に強い都市というのは何だろう?」と、都市政策を勉強しようと大学院へ。卒業後、兵庫県に設立された国連の事務所でプロジェクトに関わるうち、ハビタットを知った。募集もなかったが履歴書を送ってみた。1年後に電話がかかってきた。面接にきてみないかという。
現在、環境技術協力事業を手がける。「一番の課題は安全な水やゴミです。水は命そのもの。まだ抵抗力のない赤ちゃんにとって、安全でない水は命にかかわります」と。インフラの無い国の状況を打開すべく星野さんは活躍する。福岡に存在する企業やNPOを訪問。環境技術ノウハウがある会社を捜し歩き、アジア諸国へ紹介するプロジェクトを担っている。さらに個人でもボランティア活動を展開。「ビックイシュー」の記事の翻訳を担当。なぜそこまで人のために行動するのか?
「震災の時、沢山の方々からおにぎりや毛布など、いろいろな差し入れを頂きました。誰にお礼を言ったらいいか分からなくて。そこで自分たちが立ち直った後、別の機会に支援を必要としている人たちに支援することで、自身のお礼ができると思っています」と。
星野さんは最後に語る。「国連が目指しているものは、世界の平和。私の考える平和とは、国家の枠組みで戦争がないということではなく、一人ひとりの心の中に平和があること。貧しくても平和の幸せはあると思います」と。
(2011年2月取材)
何をきっかけに国連職員となったのか?かつて新聞や雑誌の取材で話せなかったことだった。
「本当は震災の話をするのは不得意なんです。でも、『あの経験のお陰で、今この仕事をさせていただいているのだから』と、16年経ってようやく思うようになりました」と。自身も被災者だった過去と、今もなお向き合っている。
東京都出身。
神戸大学大学院総合人間科学研究科修士課程修了(専攻:都市政策)。
日本郵船株式会社に就職後、結婚。外資系投資銀行に転職。
1995(平成7)年 阪神淡路大震災を経験。それをきっかけに神戸大学大学院にて都市政策を学ぶ。卒業後、2004(平成16)年より現職。
キーワード
【は】 【国際・まちづくり】 【研究・専門職】