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【センター長コラム No.64】「ジェンダー平等」と「男女共同参画」(その1)ーー「男女共同参画」は、いつ、どこから来たのか (2021年9月28日配信)

今年は、白い彼岸花がたくさん咲きました。夏の間は全然花をつけなかったユウガオが、やっと咲き始めました。大きく優雅な花ですが、朝にはしぼんでしまいます。

お変わりありませんか。

 

今回から、「ジェンダー平等」と「男女共同参画」をテーマにコラムを書いていこうと思います。

 

4月に就任された福岡県の服部知事が、重要政策の1つに「ジェンダー平等の福岡県づくり」を掲げているため、地域の皆さんから、「ジェンダー平等」に関する講演依頼を受けることが多くなりました。

 

特に、「ジェンダー平等」と「男女共同参画」の違いが分からないという質問を多くいただきます。このことに関しては、6月のコラムNo.61「男女共同参画よもやま話――男女共同参画週間によせて」でふれましたが、「ジェンダー平等と男女共同参画」に関して、少し詳しくお話をしていきたいと思います。

 

今回は、「男女共同参画」という言葉は、いつ頃から使われるようになったのかについてです。

「男女共同参画」は、「男女共同参画社会基本法」、「男女共同参画センター」というように、行政のいたるところで使われていますが、いつから使われるようになったのでしょうか。

 

「男女共同参画」が公的な政府文書の中で初めて使われたのは、1991年に策定された「西暦2000年に向けての新国内行動計画(第一次改定)」です。

これは、1987年に策定された「西暦2000年に向けての新国内行動計画」を改定した計画です。

 

「第一次改定」の中身に入る前に、わが国の男女共同参画関連の政策がどのような形で進められてきたかを押さえておきましょう。

 

わが国の政策は、国連の要請に従う形で進められてきました。国連の要請に従って女性問題を担当する組織をつくったり、国連が開催した世界女性会議で採択された計画に従って日本も計画をつくる、という具合です。

 

スタートは「国際婦人年」です。

国連は、女性の地位向上の世界的な動きを促すために1975年を「国際婦人年」と定め、メキシコで第1回世界女性会議を開催しました。会議では、向こう10年間に、国連機関、各国、NGOなど、世界のあらゆる部門が、女性の地位向上のために行うべき「世界行動計画」を採択し、各国に対し、「世界行動計画」にそった「国内行動計画」を策定するように求めました。また、1976年から1985年までの10年間を「国連婦人の十年」と決定しました。

 

日本は、これを受けて、1977年に「国内行動計画」を策定しました。

 

そして、国連婦人の十年の最終年である1985年、国連は、10年間の成果の検討と評価を行うために、第3回世界女性会議を開催しました。この会議は、ケニアのナイロビで開催されたので、「ナイロビ会議」とも言われています。

 

ナイロビ会議では、目標としていた女性の地位向上がまだ実現していないとして、目標達成期間を2000年まで延ばし、西暦2000年に向けて、各国が効果的な措置をとる上でのガイドラインとなる「西暦2000年に向けての女性の地位向上のためのナイロビ将来戦略」を採択しました。

 

この「ナイロビ将来戦略」を受けて日本が1987年に策定したのが、「西暦2000年に向けての新国内行動計画」です。

 

さらに1990年、国連の経済社会理事会は、1995年に世界女性会議を開催することを国連総会に勧告するとともに、ナイロビ将来戦略の見直しと評価を行い、ナイロビ将来戦略の実施のペースを早めることなどを盛り込んだ、いわゆる「ナイロビ将来戦略勧告」を採択しました。

 

この「ナイロビ将来戦略勧告」に従って、「西暦2000年に向けての新国内行動計画」を改定したのが、「西暦2000年に向けての新国内行動計画(第一次改定)」です。

 

「第一次改定」は、男女がイコール・パートナーとして、家庭、地域、職場、政策決定の場など、あらゆる分野に平等に共同して参画し、共に社会の発展をさせていくような社会づくりが課題であるとして、「男女共同参画型社会の形成を目指す」をテーマに、5つの基本目標と16の重点目標が掲げられました。

 

そして、総理府婦人問題担当室は、この「第一次改定」の策定に合わせて、1991年4月、各省庁に対して、これまで使っていた「参加」について、単に女性の参加の場を増やすだけでなく、その場において政策・方針の決定、企画等に加わるなど、より主体的な参加姿勢を明確にするために、「参画」に改めるよう通知しました。

 

また、あわせて「婦人」という言葉について、法令用語や固有名詞、固有名詞に準じるもの以外は「女性」を使用するように求めました。

 

この流れで、地方自治体も、「参加」から「参画」へ、「婦人」から「女性」へと用語を転換させていきました。

 

しかしながら、国より先に、「参画」を使った自治体があります。

それは、東京都と福岡県北九州市で、共に、国より2年早い1989年に、公的文書の中に「参画」を用いています。どちらも、首長の諮問機関が首長に提出した文書です。

 

東京都は、都知事の諮問機関である「東京都婦人問題協議会」が都知事あてに提出した意見書の中で、「参加から参画へ」という項目がたてられています。

 

北九州市は、市長の諮問機関である「北九州市婦人問題推進会議」が、「北九州市女性プラン」策定にあたって市長からの諮問に応じて提出した意見書のタイトルに、「両性の共同参画型社会の形成のために」という表現を使っています。ちなみに、北九州市は、この意見書にそって1990年3月に「北九州市女性プラン」を策定し、その総合目標を「男女の共同参画型社会の形成」としています。

 

最後に、「男女共同参画社会」とはどのような社会か、については、1994年、総理府に「男女共同参画室」を置くことを決めた際の政令の中で、「男女が、社会の対等な構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もって男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会をいう」と定義され、この定義が、男女共同参画社会基本法までずっと引き継がれています。

 

今回はこの辺で。次回は、ナイロビ将来戦略勧告でふれられた、皆さんになじみの深い数字やジェンダーについてお話しすることにします。

 

おしまいは、マイ農園だよりです。

夏の間、実をつけなかったピーマンがたくさん実りました。小さいサイズですが、肉厚で炒め物に重宝しています。プランターで栽培している山芋のつるにムカゴがたくさんできました。ムカゴご飯をつくりました。

 

コロナ感染症はいったん下火になっていますが、引き続き、健康には十分ご留意ください。

ではまた。                           (2021.09.28)

  

 

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