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【フォーラム2010】基調講演 「私は歩き続ける ~ バングラデシュからの挑戦~」


【 講 師 】 山口 絵理子 さん 
株式会社マザーハウス 代表取締役兼デザイナー

途上国の人々の貧困に直面し、「援助で救うのではなく、職をつくることで救いたい」とバングラディッシュ発のブランドを立ち上げ、活躍している起業家、山口絵里子さんを講師に迎え、数々の困難にぶつかりながらもそれを乗り越え、思いをカタチにしていった体験を通して、働き方や生き方について考え、明日への行動につながるメッセージを発信していただきました。


「いじめや不登校に悩んだ学生時代、柔道との出会い」

私たちの会社のビジョン、それは「途上国から世界に通用するブランドをつくる」ということ、このひと言に私の人生のすべてがかかっています。この言葉をスケッチブックに書いた場所はバングラディシュというアジア最貧国といわれている国です。なぜ、そもそもそんな夢を抱いたのかというと、小学校時代にさかのぼります。
小学1年の時から、いじめにあい、学校の門をくぐると具合が悪くなってしまうほどで、「学校ってどうしてこんなんにつらいんだろう」といつも思ってました。でも、少しすつ努力をして、6年生の時は、何とか終日学校にいることができたこと、これはちゃんと努力すれば報われるんだという成功体験として残っています。

6年間の内に秘めた思いが爆発して、非行に走り不登校だった中学校時代。そんな私を一変させたのが、柔道との出会いでした。女子部がない工業高校に猛アタックして、何とか入部させていただき、100キロを超える男子たちに混じっての練習は、ケガが絶えず、男子の中でやるのは無理なのかと挫折感も味わいました。

絶対に勝てそうにない相手に一本勝ちして全国大会で7位になり、試合後、はじめて笑える、満足のいく試合ができたとき、柔道をきっぱり辞めて、「楽しい学校をつくりたい」との思いもあり大学に進学しました。

「学校に行けない子ども達は、日本よりも、他の国の方がたくさいんいる。それは自分の
意志ではなく、その国に生まれた瞬間から決まっている」というある教授の言葉で恥ずかしながら、私は、はじめて途上国の状況を知ったのです。


「バングラディッシュでの体験」

その後、貧しい国について勉強し、実際に、ワシントンの国際機関で数ヶ月働いたのですが、現場のことを知らずに政策をつくるという現実に直面し、「援助」に対して疑問を感じるようになりました。そんな時、ネットで「アジア、最貧国」と検索してヒットした国・・・それが、バングラディシュとの出会いでした。

2004年、大学院に進学、2年間滞在しました。はがきを買うのですら賄賂を要求されるような状況と、爆破テロの中、利権争いに人の命が巻き込まれる現実をつきつけられ、「やはり援助は届いていない」と実感。同時に「自分にできることは何もないのではないか」という挫折感にさいなまれました。

そんな時、思ったのは、通学路のスラム街で毎日見ていた、手足を失った少年が水を売って必死で生きようとしている光景でした・・・バングラディシュでは、決められたルートでしか生きられない、やりたいと思ってもやれない、生死の選択肢しかない人たちがたくさんいることに気付いた時、自分にできることは「自分自身がやりたいことをやること」だと思い至ったのです。


「途上国からブランドを」

コストを抑えるために児童労働などの過酷な労働を強いているという、先進国が途上国を搾取している現状に直面するなかで、「ビジネス」とは何だろうと考え続けました。

「安かろう、悪かろう」の物しか作れないというのは、先進国の偏見ではないだろか・・・「途上国からブランドをつくりたい」という思いが私の中で確かなものになりました。

その思いは、語れば、語るほど「そんなことはできるわけがない」とみんなに言われました。途上国には、不便なこともたくさんありますが、「そこに何かがないからできない」のではなく、「そこにしかないものを有効利用する」・・・

そこで、目をつけたのが、コーヒー豆の袋として使用されていた「ジュード」でした。

バイト代をすべてつぎ込み、何件も工場をまわり交渉した結果、数ヶ月後にやっと160個のバッグが完成、2006年に会社を設立。当初は、「バングラディシュのタグを外してくれ」と言われながら、苦労してバックを売り歩きました。その後コンテストの賞金を使って、念願の手作りの直営店をオープンさせました。


「買った人も、作った人もハッピーになれる”ものづくり”」

当初は、工場に委託して製品を作ってもらっていましたが、「買った人も、作った人もハッピーになれる“ものづくり”」を目指していた私は、「あたたかい工場」をつくりたいという思いが日に日に強くなり、遂に、2008年に首都ダッカに自社工場をつくることができました。

医療手当や子ども手当てなど、私たちは企業としてできる最大限の労働環境の整備をしたいと思っています。まず最初の一歩が、従業員にIDカードをつくることでした。

今まで、人間として扱われたことがなかった彼らにとって、そのIDカードは、人間としての尊厳を意味する、とても深い意味があるものでした。

大切なのは上から目線で「よいものを作れ」というのではなく、みんなが「作りたい」と思うことです。

私たちの工場で作った、花をモチーフにしたバックがあるんですが、これは、花びらの重ねあわせの1ミリにまでこだわった作品なんです。そんなところにコストをかけることが、途上国からブランドをつくる第一歩だと思います。そのバックが、銀座の大手デパートのオープニングイベントで、世界の一流ブランドと一緒に並べられている光景を見て、日本に招待した工員たちから「人生が変わった」、「夢は叶うんだ」と言ってもらえたのはとても嬉しかったです。

工員達はみな、就業開始の1時間半も前から出勤してミシンの練習等をしているんですよ。


「自分の力で証明すること、モデルケースを作ることが大切」

「途上国からブランドをつくる」という私の夢は、「できるわけがない途方もないこと」とみんなに言われながらも、こうして自分の力で証明できたことで、今、誰も見向きもしなかった「ジュート」が注目を集めており、バングラディシュに日本企業が進出しています。

私はこれからも、さらなる夢を追い続け実現していきたいと思っています。




 

【フォーラム2010】

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