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山縣 由美子(やまがたゆみこ)さん (2015年2月取材)

【ロールモデル】
ロールモデルとは

国立大学法人 九州大学 理事

「愛情」を持ち「継続」すれば、いつか花が咲く

 テレビ局のキャスターから、九州大学の理事へ。異例の大抜擢に「あたたかい信頼関係を築き、九大や社会のために力を尽くしたい」とゆったりした口調で話す山縣由美子さん。微笑みを浮かべながら、まっすぐな眼差しでこれまでの道のりを語ってくれた。

九州で女性キャスターの先駆けとして活躍

 将来は音楽の道に進みたいと考えていた山縣さん。だが、高校生のとき父親の病気に直面して、考え直すことに。「音楽で家族を支えるのは難しいと思い、浮かんだのがアナウンサー。専門職で仕事を続けられて、放送を楽しみに、父をはじめ家族も元気を出してくれるかもしれない。地元鹿児島のアナウンサーを目指そうと決めたんです」。九州大学に進学するとアナウンス講座に通い、4年生でNHK福岡放送局の大学生キャスターに採用されてレポートやDJなどを経験した。
 1981年、鹿児島の南日本放送に入社。折しも全国で報道番組が増え、女性キャスターが注目を浴び始めた時期。山縣さんも同局の報道番組で初代女性キャスターに。1989年にはフリーとなり、FBS福岡放送の夕方ニュースで福岡初の女性メインキャスターを務めた。「原稿を読むだけでなく取材に出るようになって、私には取材して伝えることが向いていると気付きました。アナウンサーとしては、私よりもはるかに上手な方々がいるんです。けれども、取材に出ると、現場に行った私だからこそ伝えられること、伝えたいことがあったんです」。

ドキュメンタリー番組を通して希望を届ける

 1997年、新しい報道番組のキャスターとして、南日本放送に復帰。環境や地域再生をテーマとして、精力的にドキュメンタリー番組の制作にも携わった。「報道番組は問題提起が大きな役割ですから、どうしてもネガティブな話題が多くなりますが、私は性格的に批評が苦手でした。そこで、小さくとも前向きな具体的事例を探すよう努め、告発型でなく提案型の報道をめざしました。小さな一歩でも、挑戦する人の姿、具体的な取組を伝えれば、同じ問題を抱える人のヒントになるし、知恵のある人が助けてくれるかもしれない。放送が応援になると考えました」。
 当時、ダイオキシン問題が日本中を揺るがしていた。鹿児島の市町村に電話してヒアリングを試みるも、警戒されるばかり。そんな中で「うちでは23年間ごみの焼却灰を谷に埋めてきたけど、近くには川や小学校もある。まず焼却灰を掘り返すべき、と思ってるんです。もう一度みんなで環境行政をやり直したい」と率直に語る課長がいた。まっすぐな思いに感動した山縣さんは、その町の取組を6年間にわたり伝え続けた。「同じプロジェクトチームの一員になった気分でした」。その番組「小さな町の大きな挑戦~ダイオキシンと向き合った川辺町の6年~」は、文化庁芸術祭優秀賞など大きな賞を多数受賞。ドイツから環境技術の第一人者が町を訪れるなど、注目を浴びた。「小さな取組でも追い続けることでいろんなつながりが生まれて、数年後には大きなプロジェクトになる。映像として記録に残せば、国内外に広がり、小さな町の経験から世界中に希望を伝えることができる。時間を超えても役に立つ。それを実感できたことで勇気がわきました」。

何事も信じたほうが楽になり、うまくいく

 命にかかわる病気で2年ほど休職し、緩やかに復帰していた2014年の夏、会社に1本の電話がかかってきた。「理事として一緒にやってもらえませんか」、面識もない九州大学の総長からのオファー。「突然のことで途方に暮れましたが、南日本放送の社長が「総長の心意気に応えなさい」と背中を押してくださったのです。相談の過程で、南日本放送と九大、両方の人々の誠実さに深く感動し、この転機は信じられる、と思いました。放送の道を究めたいとずっと走ってきたけれど、今後のことは天にお任せしよう、そんな気持ちでした」。
 同年10月、九州大学の理事に就任。広報や教育社会連携等の担当として、新しい風を吹き込もうと奔走している。「まずは月1回の記者懇談会で九大の魅力を生き生きと伝え、学生や学内関係者も集いたくなるような会をめざしています。私は人をつなぐことを核としてきたので、どんどんつないでいきたい。私自身が小さな放送局となり、楽しく発信していきたい」と目を輝かせる。学内には8000人ほどの教職員がおり山縣さんにとっては初めての管理職となるが、気負いはない。「最後は人と人。あたたかい信頼関係を築けばいい」と微笑む。
 山縣さんが大切にしてきたのは「愛情と継続」。「1歩は小さくても、粘り強く続けることによって必ず実りがあると実感し、いつしかそれが信念になりました。植物と同じだと思うんです。日々の変化は見えなくても、一生懸命に愛情を注ぎ続ければいつか花が咲く。人間関係でも相手のいいところを認めていれば、最後は仲間になれる。信じたほうがすごく楽ですし、結果的にうまくいきますよ」。

                                                                                                           (2015年2月取材)
 

コラム

私の宝物

 「これが私の宝物です」と山縣さんがバッグから取り出したのは、DVD「やねだん~人口300人、ボーナスが出る集落~」(制作:南日本放送)。山縣さんが制作に携わり、2008年に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞など各賞を総なめにしたドキュメンタリー番組だ。鹿児島県の集落「柳谷」、通称「やねだん」は、行政に頼らない地域再生に成功。山縣さんは局から片道3時間かけてやねだんに通い、12年の記録をまとめた。今ややねだんは“地域再生のお手本”として石破地方創生担当大臣が視察に訪れ、韓国との交流も深まっている。「放送番組の多くは消えていく運命ですが、この番組は周囲の人々の尽力で幸運にもDVD化が実現し、いつでも見ていただける映像記録となりました。やねだんの取材は私のライフワークなので、今でも続けています。私はやねだんの人たちにあたたかい信頼関係が一番大切だと教わりました。これが私の原点です」。

プロフィール

 1981年九州大学文学部を卒業後、南日本放送にアナウンサーとして入社。「MBC6時こちら報道」の初代女性キャスターとなる。1989年フリーとなり、NHK福岡放送局やFBS福岡放送でキャスターに。1997年、南日本放送に復帰。キャスター業とドキュメンタリー番組制作を続け、「小さな町の大きな挑戦~ダイオキシンと向き合った川辺町の6年~」「やねだん~人口300人、ボーナスが出る集落~」で様々な賞を受賞。2014年10月、九州大学理事に就任。

 

 

 

 


 

 

 

 

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