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豊田 晴子(とよたせいこ)さん (2015年2月取材)

【ロールモデル】
ロールモデルとは

一般社団法人産前産後サポーター協会心ゆるり 代表理事、助産師

産前産後のケアハウスで母子をサポート

 豊かな緑と青い空が広がり、鳥のさえずりが響き渡る。のどかな雰囲気に抱かれた小郡市の古民家で、産前産後サポートセンター「心ゆるり」を営む豊田晴子さん。あたたかい笑顔とゆったりした口調で、こちらの心を緩めてくれる。助産師になって37年、ずっと母子支援に情熱を傾け、「女性にとって、産後は人生の要。その後の心身や夫婦関係にまで大きな影響を与えるんですよ」と語る。

現状を目の当たりにして一念発起

 母親から手に職をつけるようにすすめられ、看護学校へ進学した豊田さん。就職した病院のNICU(新生児集中治療室)で、痛々しい医療処置を受けている小さな赤ちゃんと傍らで見守る親の姿に、胸を締め付けられた。「子どもをもっと楽にしてあげたい、お腹にいるときのことから学びたいと思い、助産師になるため学校に戻りました。自分の意志で勉強したいと思ったのは、初めてでしたね」と振り返る。在職中、NICUの母親100人にアンケートを実施。ほぼ全員「私が悪い」「自分がもっと気を付けていれば」と悔やんでいることを知った。母親にこそ支援が必要だという思いが膨らみ、より勉強ができる環境を求め、国立病院の産科に転職。そこで「乳腺炎をはじめ、授乳に関する悩みが多い」と実感した。退院した母親が授乳トラブルで困っていると聞けば、片道60kmの道のりでも車でかけつけて無償で対応した。少しでも効果的なおっぱいマッサージの技術を身につけるため、仕事の傍ら北九州のマッサージ師のもとへ通うなどして、意欲的に学び続けた。

福岡で先駆けとなる母乳外来を開設

 31歳のとき、父が病に倒れたのを機に帰郷し、福岡市内の総合病院で婦長になった。「生え抜きではなかったので、初めはなかなか思うようにいかなかった」と明かすが、「でも、前しか見てなかったのよ。母子をサポートできるなら、場所はどこでもよかった」と言い切る。母乳外来の必要性を医師に訴え続け、まだ母乳外来が一般的ではない時代、開設にこぎつけた。
 プライベートでは37歳で結婚し、翌年に出産して復職した。だが「仕事が忙しくて、自分の子どもには向き合えない。何か違う…」という思いが募り、第2子の妊娠を機に個人経営の産婦人科に転職。昼休みにわが子に授乳したり、好きなマッサージができる環境に。さらに、行政と連携した地域の新生児訪問や母親学級から看護学校の講師まで、活動の場は広がった。
 1998年、自宅の隣に豊田助産院を開業。出産してもまわりに頼れる人がいない母親が増えている現実をひしひしと感じた。「産後すぐのお母さんは疲れ果てているのに、帰宅したら上の子の世話や家事をしなきゃという方が多くて…。もっとゆっくり休ませてあげたいけど、助産院では無理。そんなジレンマと切ない思いを抱え、いつかケアハウスを作ろうと決心しました」。

ケアハウスと講座で母子支援の輪を広げる

 2013年11月、念願のケアハウス「心ゆるり」をオープン。産前産後の母子を支えるサービスをそろえている。例えば、数時間から数日ハウスに滞在できて、授乳レッスンやマッサージ、沐浴、食事などを提供。自宅でのマッサージや家事・育児支援まで、希望に合わせてきめ細やかに対応している。開業にあたっては、古い農家を自力で整地したという。「資金がないから、古い小屋を解体するときは柱にロープを巻いて引っ張ってね…見かねた近所の方や家族も手伝ってくれて、感謝しています」。
 ここで働くのは、豊田さんが立ち上げた産前産後サポーター協会認定講座を受講した女性たち。子連れ出勤も推奨している。理想の場所ができたものの、経営状況は厳しいという。「でも、サポート施設は絶対に必要。お母さんやお子さんの笑顔を見ると、まだやろう、どんなに大変でも何とかなると思えるんです」とにっこり笑う。豊田さんに賛同して認定講座を受ける人は九州から四国まで広がっている。「ここを拠点に産前産後サポートを広めたい。できる人ができることからやってほしいですね」。
 助産院を開業して17年間、SOSがあればいつでもかけつけ、正月三が日でさえ丸々休めたのは一度だけ。「時間は調整してもらうけど、断わったことはないんですよ。だって、困っている人がいるんだから」。母親が安心して産める環境を整え、サポートしたい。その一心で、豊田さんはこれからも走り続ける。
(2015年2月取材)

コラム

私の大切な時間

小さなころからテレビで事件モノを見て、推理するのが好きだった豊田さん。今は家族そろってテレビを見たりする日常のひとときに、家族からエネルギーをもらえるという。「絶対に仕事第一とか、こうじゃなきゃとか固執せず、子育て期は仕事のスタイルを変えてもいいと思うんです。もちろん仕事次第ですが。私は子どもがいることを隠して仕事に邁進した時期もあったけど、ずっと罪悪感があって…。個人病院にうつったことで子どもと向き合えるようになり、心身に余裕ができました。子どもあっての私で、子どものおかげで頭も下げられるようになった。子育て中の女性が働きやすい世の中になってほしいし、女性自身ももっと柔軟に考えていいと思いますよ」。

プロフィール

朝倉郡筑前町生まれ。高校を卒業後、1年間は好きなことをして過ごす。看護学校に進学し、聖マリア病院に就職。さらに助産師の資格を取り、復職。国立別府病院(現・国立病院機構別府医療センター)、原三信病院、牛島産婦人科などを経て、1998年豊田助産院を開業。2013年11月に産前産後サポートセンター「心ゆるり」をオープン。産前産後サポーター協会認定講座を開講し、看護学校では非常勤講師を務め、小中学校での講演も行っている。2015年10月には佐賀県三養基郡みやき町にも拠点を開設予定。

 

 

 

 


 

 

 

 

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