【ロールモデル】
ロールモデルとは
株式会社西日本新聞社 広告局広告制作部 部長
「新聞社」といえば、「男性中心の世界」と思われがちだろう。しかし、徐々に変化の兆しが見えており、西日本新聞社では近年、新入社員の男女比がほぼ同じになり、女性管理職も増えつつある。そんな同社の女性社員トップ4のうちのひとりが上村康子さんだ。新聞紙上に掲載される広告の内容や掲載場所を決定する、広告制作部の部長を務める。「若い世代をみていると、女性のほうが押し出しが強い印象がありますね」と上村さん。「上村さんも押しが強いほうですか?」と尋ねると「いえいえ、私はうしろからついていきたいタイプだったんですよ」と笑顔で気さくに語ってくれた。
上村さんが西日本新聞社に入社したのは、21歳のとき。マスコミに興味があったものの、当時、女性の正社員募集はなく、嘱託社員としての採用だった。主に広告畑を歩み、仕事のおもしろさに目覚めた。35歳で社員になると、「社員と同等の仕事を任され、転勤もある立場になったと実感し、自分の中で意識が変わりました」と振り返る。
社員として最初の配属は、企画推進部マーケティンググループ。同社が毎年発行する「九州データ・ブック」を制作する部署だった。九州の経済や人口、産業などの多様なデータを網羅した冊子は、広告営業を後押しするためのツールだったが、市場開発や販売促進の情報源としても好評を博していた。「当時、まだ世間一般にマーケティングという言葉すら浸透していない中、私にとっても初めてのことだらけ。厳しく指導してくれる上司のもとで考え抜き、動き、形にしていく仕事は、非常にやりがいがありました」。反面、自分にやっていけるのかと弱気になったことも…。そんなとき上村さんを救ってくれたのは、母のひと言だった。「『あなたがそこにいる必要がないと思えば、会社は外す。あなたにやりなさいといってくれているのよ』。そんな言葉に勇気づけられました」。
40歳のとき、広告局の女性で初めて東京へ転勤。「チャンスがあれば行きたいと思っていたので、うれしかったですね。大手クライアントや広告会社とのやりとりは刺激的で、仕事の幅が広がりました。同年代で活躍する女性に出会い、語り合える友人ができたのも幸運だった」と言う。
53歳で管理職になり、現在は13名が所属する広告制作部のトップを務める。上村さんが管理職として心がけているのは、毎朝少し早めに出社して、部員が来たときに顔を見てあいさつすること。「あいさつは基本的なコミュニケーションの一つ。朝、顔を見てあいさつすれば、今日は体調が悪そうだな、仕事で行き詰っているのかな、などと雰囲気から相手の状況を把握できます。そこから自然と部員が話してくれることも多く、早めのリスク管理にもつながります」。さらに「部員にやりがいを持って働いてほしいから、できるだけ現場は任せ、結果が出たら一緒に喜ぶ上司でいたい」と、気負わず自分なりの上司像を描いている。
社内では年々、育休や時短、在宅勤務の社員が増え、確実に女性活躍の機運が高まっていると話す上村さん。ただし、「仕事と家庭を両立するためには、まわりの理解と協力が必要。仕事とはいえ、結局は人と人との付き合いだから、日ごろからの在り方や関係性が大切」とアドバイスする。
「私は好きな広告の仕事を続けてきた結果として、今があります。専業主婦にせよ、仕事するにせよ、どんなことにも厳しさがあり、楽しさややりがいもあるはず。ただし、やりがいは飛び込んでこないから、自分で見つけるものだと思います。何事も真剣にやれば、必ず自分に返ってきますよ」。そのときどきでベストを尽くし、気づけば部長になっていたという上村さんの言葉には、経験に裏打ちされた重みと、あとに続く女性たちへの温かいメッセージが込められていた。(写真は福岡市天神にある西日本新聞社本社ビル)
(2014年5月取材)
上村さんの趣味は、お芝居を観ること。学生時代から歌舞伎をはじめ、唐十郎、第三舞台など、多彩な舞台を観てきたそう。「テレビとはまた違って、同じ空気の中でライブで観る感覚は特別ですね。東京で勤務しているときは、文化的に恵まれた環境だったのも魅力でした」。
福岡市生まれ。筑紫女学園短期大学を卒業後、嘱託社員として株式会社西日本新聞社に入社。1990年に社員となり、1995年から9年間、東京支社広告部に配属。本社の広告局企画推進部を経て、2008年に東京支社広告部次長として管理職に抜擢される。2010年に広告局広告制作部次長となり、2011年から現職。
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