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株式会社やずや 代表取締役会長
健康食品の通信販売の先駆けであり、全国的に知られる「株式会社やずや」。40年ほど前、脱サラした夫と二人三脚で始めた小さな会社は、今ではグループで年商400億円を超える有名企業に。だが、その道のりは決して平たんではなかった。夫の急死により、期せずして社長に就任した矢頭美世子さん。情熱的な語り口で、自身の歩みを語ってくれた。
矢頭さんが結婚したのは、22歳のとき。5歳上の夫は、東京にあるハウスメーカーのサラリーマンだった。地元・福岡で両親の面倒をみるため、夫は数年で脱サラ。福岡で健康食品販売業を始めた。人脈なし、資金なしでのスタート。いろいろな事業を試みるも、そうそううまくはいかない。娘が2歳、息子がまだ1歳になる前、矢頭さんは苦しい家計の足しになればと朝4時に起きて乳飲料を配ったこともある。
ようやく事業が軌道に乗りかけた矢先、取引先の倒産で多額の借金を抱えることに。夫婦は一から出直すことを決意。8坪の小さな事務所を構え、パートと3人で健康食品の通信販売を始めた。「当時は対面販売が一般的だったけど、これからは通販の時代がくるという直感があったんです」。そのひらめきは正しかった。矢頭さんは祖父母と夫の両親、子ども3人の面倒をみながら仕事に励んだ。
順調に業績を伸ばしていた1999年、思わぬ不幸に襲われた。夫が55歳で急死したのだ。「美世子、ありがとう。仕事しながら親たち4人をよく看取ってくれたね。これからは僕たちの人生だ」と言ってから、わずか1か月半後のことだった。涙に明け暮れ、眠れない毎日。でも「夫の意志を継ぐのは私しかいない」と自分を奮い立たせ、社長に就任した。
社員は誰一人辞めず、矢頭さんを支えてくれたという。「泣きながら仕事をする私に、一人で背負わないでと言ってくれて…。すごくありがたかった。私は先代の器にはほど遠いけど、社員を愛する気持ちは負けていない。社員と全員参加型の企業を目指そうと決めたんです」。売上や粗利益などを全てオープンにして、全員が経営者感覚を持ち、アイデアや意見を出し合う、ボトムアップ経営にした。大切な人に薦めたくなるものをつくる「ものづくり」、人生を豊かにするための「ことづくり」、創造し、提案し続ける人材を育てる「ひとづくり」をすることで、社会に貢献したいという企業理念は、創業者である夫の思いでもあった。「社員と思いを共有することが第一。その考えは今でも変わりません」。
息子の存在も大きかった。社長就任後息子はすぐに福岡へ戻り、仕事をサポートしてくれた。先代が亡くなり、巷で「やずやはもう駄目だ」とささやかれたりもしたが、32億円だった年間売上は翌年62億円に。「社員と子どもに救われた。私は本当に恵まれていました」。
やずやの社屋は、社員への思いがたくさん形になっている。1食250円の社員食堂、健康促進のためのジム、社内にある保育所。産休・育休中の社員へは、復帰前面談を実施、復帰後は勤務時間を短時間勤務から段階的に延ばしスムーズな復職支援を行っている。その結果、女性の離職率は平成20年の28%から24年には8%にまで改善された。「社員は財産だもん。大切な社員が健やかに仕事に集中できるようにと思って」とまっすぐな眼差しで話す。さらに一般の人に向けて、親子料理教室や体操等を通して心と体を鍛える道場の支援もしている。
2009年、息子が社長、矢頭さんは会長になった。「私は演出家で社員が主役。これからも人を育てていきたいの」。家族のように深い愛情を持ち、矢頭さんは社員を、そして社会を見つめている。
(2014年1月取材)
会社の経営に携わりながら、しっかり趣味も楽しんでいる矢頭さん。「シャンソンと社交ダンスを長年やっていて、最近はフラダンスも始めたの」と言ってすぐ、言葉をつないだ。「あ、そうだ、孫6人と過ごす時間がとっても幸せ。ご飯を作って、一緒に食べて、遊んでね」。とびきりの笑顔を見せた。
北海道生まれ。1975年、株式会社やずやを福岡市で夫と創業。健康食品の通信販売業で成長を続けていた1999年、夫の急死により社長に就任。本業の傍ら、チャリティーイベントを開催し、文化振興や地域貢献活動にも取り組む。2004年(公財)経営者顕彰財団第31回経営者賞受賞、2009年に代表取締役会長に就任してからも、“やずやの母”として経営に携わる。2011年に著書『社長室はいりません~やずやの少数繁栄経営』発刊。2013年、第12回福岡県男女共同参画表彰「社会における女性の活躍推進部門」受賞。
キーワード
【や】 【起業】