【ロールモデル】
ロールモデルとは
豊津寺子屋実行委員会会長 みやこ町商工会女性部 部長
「地域の子どもは地域で育てよう」と2004年に開設した豊津寺子屋。高齢者が自分の経験を生かせる場でもあり、母親が安心して働くことができる環境づくりの取組でもある。豊津寺子屋実行委員会の会長、長野宏子さんは今日も明るい笑顔で町中を駆け回る。
小さい頃は人と話すのが苦手で家で本ばかり読んでいるような少女だった。料理が大好きで、高校卒業後は東京の専門学校に進学し、栄養士の資格を取得して、同校で助手として働いた。22歳の春、「話があるから帰るように」という父からの電報で帰省したところ、待っていたのはお見合い。半年後に結婚し、夫の両親が営む食堂を手伝い始めた。16年間、丼物や焼そば、焼うどんなどの料理を作り、地域の人々の胃袋を満たしてきた。その後、知人の紹介で新聞販売店を始めた。夫は会社員、新聞販売店は長野さんが一人で切り盛りをし、二人の息子たちはまだ小さかったので多忙な毎日を送った。営業で各家庭を回り、地域の住民と接するうちに、「人とおしゃべりすることが楽しくなっていった。自分がこんなに営業に向いているとは思わなかった」と笑う。実績も順調に伸び、その仕事ぶりが認められて、女性では珍しい北九州地区の販売店の会長まで務めたという。
地域の高齢者とも親しくなり、町中のことに詳しくなっていった長野さん。1989年からは豊津町(現みやこ町)商工会女性部の部長を務め、町の活性化のために尽力している。イベントに出かける機会も多く、地域の人々に「どこに行っても長野さんに会うね」と言われるほど、誰もが知る存在に。
2002年から豊津町男女共同参画まちづくり懇話会に参加し、男女共同参画やまちづくりについて学んだ。「せっかく学んだことを生かしたい」と、社会教育・生涯学習の専門家、三浦清一郎氏の指導を受け、2004年に男女共同参画まちづくり実行委員会として、豊津寺子屋を開設。会長の長野さんは「地域で子どもを育てよう」と呼び掛けた。
豊津寺子屋は校区の小学生なら誰でも入れる。そこでは、地域の高齢者が指導者となり子どもたちの宿題やモノ作りなどを教えている。「子どもの居場所」にこだわり、小学校内に開設。発足当初は土曜だけだったが、保護者からの要望に応え平日の放課後や夏休みなどの長期休暇にも行うようになった。そこで重視しているのは礼儀など基本的な生活姿勢で、時には我が子に接するように叱ることも。指導者は登録制で、現在、60~70代のメンバーが約100人いる。料理、囲碁将棋、絵画、スポーツなど、得意分野別にグループを組み、順番で指導にあたっている。長野さんは料理グループのリーダーで、子どもが喜ぶ料理を教えてきた。「子どもから『カレーの先生』と呼ばれて嬉しかった」と笑みを浮かべる。指導者にとってもここでの活動は大きな活力になるという。子どもを預かることは大変な責任を伴うが、保護者から「寺子屋に行かせてよかった」と言われることが一番の喜びだと話す。
長野さんのもうひとつの活動に、高齢者向け宅配サービスの弁当作りがある。「私ももう70歳近くだけど」と笑いながら、地域の高齢者のために、栄養士の資格とこれまでの経験をフルに生かしている。毎朝4時半に起きて朝食の準備をした後、加工所に出かけ、調理や下ごしらえ、仕入れなど、息をつく間もない。「おいしい料理は人を幸せにするでしょう」という言葉に深い愛情を感じた。
好きな言葉は「やる気・元気・負けん気」。信条は「自分に負けない、困難に負けないこと」。晴れやかな笑顔の奥には、人知れず乗り越えてきた幾多の壁があったことだろう。そろそろ次の世代へバトンタッチをと考えているという。「みやこ町は自然が豊かで農産物も豊富。若い人にふるさとの素晴らしさを知ってもらい、定住してほしい」と後継者に期待を寄せる。将来、寺子屋の卒業生がみやこ町を盛り上げてくれるに違いない。
(2013年9月取材)
お酒が大好きな長野さん。夜は夫婦でゆっくりビールや焼酎を味わう。また、一人でワインを飲む時間も大切なひととき。特に赤ワインを片手に衛星放送の刑事ドラマシリーズを観るのが至福の時だという。
京都郡豊津町(現みやこ町)生まれ。地元の高校を卒業後、東京栄養食糧専門学校に進学。同校にて栄養士として助手を務めた後、22歳で帰郷し結婚。1989年よりみやこ町(当時は豊津町)商工会女性部長、2004年に開設した豊津寺子屋の実行委員会会長を務める。また、60代が中心となって高齢者にお弁当を宅配するサービスは、福岡県の「70歳現役社会づくりモデル地域事業」の第一号採択を受けた。
キーワード
【な】 【NPO・ボランティア】 【子育て支援】 【福祉】