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前田 恵理(まえだえり)さん (2013年7月取材)

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NPO法人九州車いすテニス協会 理事 株式会社ニッツー 代表取締役社長

感動とおもてなしで、故郷・飯塚を元気にしたい

 父親が創業したLPガス会社を継いで15年。 地域のライフラインを守る一方、世界のトップ選手が集う「飯塚国際車いすテニス大会(ジャパンオープン)」(NPO法人九州車いすテニス協会主催)の会長として海外にも目を開く。延べ2000人規模の市民ボランティアによる運営は「イイヅカ方式」と呼ばれ、心づくしのもてなしは、ウインブルドン選手権などに次ぐ高い格付けが大会に与えられたほど高評価だ。故郷・飯塚を元気にしたいと、“二足のわらじ”で奔走している。

故郷に支えられた再出発

 「会社は継がんでいい。働かんで嫁に行け」。そう言っていた父親が突然倒れたのは、前田さんが31歳のころだった。当時は、福岡市内で2人の娘を育てていたが、離婚して帰郷しようとしていた時期だったため、「これを機に家業を継ごう」と決意。母親が社長に就いた会社に、常務として入社した。
 子どもたちは3歳と1歳。まだそばにいてやりたい時期で悩んだが、社員の家族らが子守りを手伝ってくれるなど、周囲に支えられた。 「筑豊は情に厚い。炭鉱は危険を伴う仕事だから、『隣の家族に何かあったら面倒みちゃる』という人情がはぐくまれたのかもしれません。救われました」。
 当時はまったく未知の世界だったガスの仕事。現場から学ぼうと、経理や伝票整理、ガスユーザー宅への訪問など何でもやった。前田さんは中学から福岡市内の学校に進学していたため、帰郷は約20年ぶり。旧知も少ない土地で「どう販路を拡大させるか」と思い悩む事が度々あったころ、大きな出会いがあった。

車いすテニスに教えられた「心」の大切さ

  「車いすテニスのコーチを引き受けてもらえないか」。大学時代にテニスをしていた経験を買われ、「総合せき損センター」(飯塚市)の医師から声が掛かった。当時リハビリの一環として導入されていた車いすテニス。事故や病気で命が助かるかどうか・・という状況から立ち上がった方たちと出会い、大きな勇気をもらった。それは、生きていることへの感謝でもあり、「心」のありようが人生を拓くという気づきでもあった。「一緒に成長したい」。コーチ就任を快諾した。
 ジャパンオープンは2014年が30回目。当初は外国人選手の活躍が目立ったが、2002年に初めて日本人選手が優勝。そのプレーを間近で見て、「自分も世界トップになる」と目の色を変えた若い選手がいた。わずか2年後、アテネパラリンピックの男子ダブルスで優勝し、2008年北京パラリンピック、2012年ロンドンパラリンピックの男子シングルスでも金メダルを獲得した、現在世界ランキング1位の国枝慎吾選手だった。目標を持った人間の強さを目の当たりにした。
 観客が息をのんで見入ったプレーも、忘れられない。上下肢障害の部門で、その選手は左手がなかった。右手でラケットを持ちつつ手首でトスを上げた。左上腕で電動車いすを操作してコート中を走り回った。「人間に少しの可能性があったら不可能なんてないと思えた。障害者があきらめていたら、障害者スポーツは生まれていない」。

もらった元気が、仕事の原動力

 ジャパンオープンの準備には半年以上かかる。膨大な運営費も、自分たちで集めなければならない。会社経営との両立は苦労が多いはずだが、「忙しい、大変。そんな言葉は口から出てこない。だって、動ける体があるんだから」と前田さんは言う。進行性の病気を抱えて来年の出場が不確定な選手も多い。たくさんの別れも経験した。「だから今生きていることに感謝して、全力投球していたいんです」。
 世界中の選手にもらった元気は、仕事の原動力でもある。「高齢者も障害者も、子育て中の人も、みんなが安心して暮らせるサポートをしたい」と事業を次々展開。今は、LPガスに加えてミネラルウォーターや食品、日用品の宅配、電球の取り換えといった高齢者らの困りごと対応まで、約30人の社員でこなす。目指すのは、地元密着の「快適生活応援団」だ。
 2013年3月の会社創立50周年記念事業では、JR九州の協力も得て、筑豊のスイーツや弁当をふるまう女性限定の日帰りツアー列車「ひまわりトレイン」を企画した。直方から博多まで往復した車内のおもてなしは、日ごろLPガスや水などの宅配を担う男性社員たち。そのために、接客のプロに研修を依頼する力の入れようだった。
 「感動と感謝は人を幸せにする。会社も“おもてなしのプロ”に成長して地域に貢献したい。これも、車いすテニスから学んだことですね」。二足のわらじに見えた二つの役職。実際は「車の両輪」として、前田さんの前進を支えていた。 (2013年7月取材)

コラム

思い出の旅行

 「仕事も好きだけど、一番大切にしたかったのは子育て」と前田さん。子どもと向き合うため、家に仕事を持ち込まないこと、年末年始は家族旅行を楽しむことを心掛けた。娘さんたちが小学生のころに行ったケニアは、特に思い出深いという。360度地平線が広がる国立公園で、夜明け前から気球に乗り込んだ。手に取れそうなほど無数の星がきらめく漆黒の夜空。それと入れ替わるように、空と地上を赤く染めた朝日…。 「日常からポーンと世界を変えることって、大切。新鮮な感動があると、『生きているって嬉しいな、ありがたいな』という感謝が自然に湧いてくるから。それを娘と共有できた旅行は、宝物のような思い出です」。

プロフィール

飯塚市出身。31歳のとき、株式会社ニッツーの常務に就任。1998年から同社の代表取締役社長。「飯塚国際車いすテニス大会」には、1985年第1回から委員としてかかわり、2008年からは同大会の会長を務める。NPO法人「九州車いすテニス協会」(事務局・飯塚市)の理事。

 

 

 

 


 

 

 

 

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