【ロールモデル】
ロールモデルとは
福岡県農業・農村振興審議会委員、福岡県減農薬・減科学肥料栽培認証委員会委員、あんずの里市利用組合相談役
「これが女の花道たい…」。2010(平成22)年夏、ひとりの女性が重責の椅子を降りた。1996(平成8)年の開業以来、14年間の長きにわたって農水産物直売所『あんずの里市』の組合長を務め、同直売所を守り抜いてきた井ノ口ツヤ子さんが、その任を退いたのだ。
「人間は引き際が大切。いつまでも地位に恋々としては後継者は育ちません。幸いに託せる人も出てきたし、バトンタッチの頃合いだと判断しました」。肩の荷を降ろしたかのような安堵の顔を見せる井ノ口さんだが、ここに至るまでの道は決して平坦なものではなかった。
農家の3人姉妹の長女として生まれ、父親とともに家業を守るべく養子を迎えたのもつかの間、父は脳腫瘍にかかり病床へ。がんは転移・再発を繰り返し、10年間にわたる闘病の末に永久の眠りについた。医療費負担は家計に重くのしかかり、家の貯金はほとんど底を尽いたという。
「救いだったのはパートナーが会社勤めだったこと。なんとか生活だけはできましたが、ほとんど無一文からの再出発。捨て身で農業に取り組みました」と辛苦の時代を語る。
思いを定め、農業へ打ち込んできた井ノ口さん。1990(平成2)年にJA宗像の女性部長に就任し、翌年には福岡県の女性農村アドバイザーの第一期生に認定された。そんな実績が注目され、町から津屋崎・勝浦地区の活性化に力を貸して欲しいとの要請を受ける。偶然にもJA県中央会の女性部副会長も務めていたことで、各地に広まりを見せつつあった朝市の情報を入手し、1994(平成6年)に町の活性化と農村女性の経済的自立の一助を図るため女性有志とともに朝市を立ち上げた。
当初は月に2回ほどのささやかな規模だったが、しばらくして勝浦地区に農林漁業体験実習館建設の話が持ち上がった。施設の横に常設の直売所を作ってもらえれば、話題にもなる。そう信じた井ノ口さんは当時の奥田県知事との対話集会で声を大にした。
知事からは「隣に直売所を設置するのは大丈夫です」との言質を得て朗報を待つが、話は一進一退。「これはもう、私が出て行ってやらなねば…」。業を煮やした井ノ口さんは、1995(平成7)年4月、町議会議員選挙へ立候補。見事に当選を飾った。
「議員になって驚いたのは、町長や助役、課長と直接話ができることでした。いち町民だと、課長にさえ行き着かないのが現実でしたから…」。町の活性化と農村女性が少しでも潤うようにとの想いを切々と訴えた井ノ口さん。声は届き、1996(平成8)年5月、農水産物直売所『あんずの里市』が誕生する。面積わずか49㎡、レジ1台の小さなスタートだったが、マスコミは「母ちゃんの朝市が直売所になった」と賛辞を送った。
初代組合長となった井ノ口さんは、各集落から女性委員を募り、合議制で組織を運営。収益の振込先を女性の口座にするなどモチベーション向上に気を配り、売り上げを継続させ、施設面積約400㎡を擁する直売所へと育て上げた。
また、議員として、子どもたちには安全でおいしい地元食材を提供すべきと考え、中学校の給食導入など数々の実績を挙げた。そして2007(平成19)年、町の合併を節目に惜しまれながら議員を引退。
「思い込んだら突っ走るタイプ。一途にやり抜くことが、私の生き方です」。走り抜けてきた人生の達成感を語るかのような笑顔を見せてくれた。
(2011年3月取材)
近隣に競合の直売所が増え、将来的にはあんずの里市も安穏とはしていられません。3年後、5年後にもお客様と組合員から愛される直売所であるために、経理・経営に長けた男性を組合長にしました。未知数なところもありますが、それまで女性だけだった組織に男性が参画することで、新しい面が出るのではと期待しています。
宗像郡津屋崎町(現福津市)出身。1990(平成2)年に宗像農協婦人部長、1991(平成3)年に福岡県女性農村アドバイザー第一期生に認定される。1995(平成7)年から2007(平成19)年まで津屋崎町議会議員。1996(平成9)年より2010(平成22)年まであんずの里利用組合組合長を務める。
現在、あんずの里利用組合相談役の傍ら、福岡県減農薬・減化学肥料栽培認証委員会委員、福岡県農業・農村振興審議会委員を兼任中。2006(平成18)年、第5回福岡県男女共同参画表彰(県民賞)受賞。
キーワード
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