ロールモデル
ロールモデルとは
講師情報
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大野城まどかぴあ 館長 兼男女平等推進センター 特別アドバイザー
現在、まどかぴあ館長、アナウンサー、講演など、多忙な毎日を送っている林田さん。「仕事が充実していて楽しくてしょうがない」と笑顔で話す。好きなこと、楽しいことを仕事としてやっているので、全然苦にならず、むしろ充実していて幸福だという。例えば、講演をすると、体調が良くなったりすることがあるという。
初めてまどかぴあに着任したばかりの頃は、勉強不足で不安だったというが、「多くの市民の方々と共に学び続けることで、更なる活動につなげていけるようになりました。加えて、アナウンサーの仕事を続けていることが役に立ち、様々な分野のゲストを呼び、事業展開することができました。また、そこには必ず市民ボランティアの人々がいて、彼らと共に、男女共同参画社会の実現に向けての啓発に力を入れました」と語る。
そんな林田さんだが、過去には育児に苦悩した日々があった。23歳で結婚後、夫の転勤で東京へ行き、専業主婦へ。結婚は幸せへの片道切符だと疑わなかった。しかし、子どもが生まれると、慣れない土地で知り合いもなく、夫は年の3分1は頻繁に海外出張、といった状況の中、育児にとても悩んだ。そのストレスが伝わったせいか、子どもたちは病気がちに。それがまた心配の種となり、ストレスになり・・・という悪循環。「当時のことを今考えてみると、心が泣いていた、叫んでいたんだろうと思います」。娘さんは当時、「お母さんって幸せなのかな?と思っていたよ」という。
しかし、夫の再度の転勤により福岡に戻ってきてからは、慣れ親しんだ土地の安心感に加え、両親からのサポートもあり、状況が見違えるように改善したという。また、アナウンサーの仕事を再開し、自分の好きなことを通じてもう一度社会と積極的に関わっていった。そうすることで、精神的にも安定し、充実した生活になっていった。それからは不思議と子ども達も健康になり、生き生きしてきたという。「母親の心身状態が子どもとのつながりに大きな影響を与えているんだと思います」。
そんな経験もあり、現在、育児で悩んでいる母親の気持ちがよく分かるという。まどかぴあでも、育児に悩む母親を対象に、少数で匿名などの配慮もして、専門の先生を招き、半年ほどかけて丁寧にサポートをしていくアサーション(※)の講座も行っている。「こういう苦悩を緩和するためには、人との関わり合い、地域との関わり合いがとても重要。まどかぴあでは、育児中の講座から、育児後の仕事のための講座(スキルアップなど)までサポートしていこうと思っています」。
これからの男女共同参画社会への展望をお聞きしたところ、「ハンドバッグを持って仕事に行くことだけが、女性の社会進出ではないと思います。家庭や地域での活動を中心にしたい人は、例えば、漬物をつけて地域で配ったりとか、それぞれがそれぞれの価値観の上で、自分自身の人生を積極的に生き、世代やライフステージごとに充実して幸福な人生を楽しく生きれるようになればいいと思います。多くの人々のそういった仕事と人生の充実を、押しつけがましくなく、広く応援していきたいです」とのことだった。
※アサーション
自分も相手も尊重した上で、自分の意見や気持ちなどを適切に表現すること。
(2011年2月取材)
大学受験の時、九州大学に不合格だったこともあり、九州大学への思いが心のどこかにずっと残っていたという。そこで、子どもたちが自立してひと段落した時期に、一念発起して30数年ぶりに九州大学大学院の受験にチャレンジし、見事合格。合格した時は涙がとまらず、受験生のようにまどかぴあ職員みんなで喜んだそう。入学後は、まどかぴあの経験を通じて、さらに新たな視点や価値観を構築することができたそうです。
大学院で頑張るお母さんに、娘さんから、「無理するなよー」と冗談で声をかけられるなど、母と娘の立場が逆転したようなこともあったと、笑顔で嬉しそうに話されていました。
嘉穂郡(現・嘉麻市)出身。大野城まどかぴあ館長。同男女平等推進センター特別アドバイザー。元RKBアナウンサー。1971(昭和46)年、結婚のためRKBを退社。その後9年間の専業主婦を経て、1980(昭和55)年にフリーとしてアナウンサーの仕事に復帰。1996(平成8)年大野城まどかぴあ女性センター(現・男女平等推進センター)所長に就任。1999(平成11)年、筑紫女学園大学非常勤講師。2004(平成16)年、九州大学大学院人間環境学府修士課程修了。現在はテレビやラジオの番組を中心に、企業やPTAの講習、各種シンポジウム、対談、エッセーの執筆など、幅広く活躍している。
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【は】 【働く・キャリアアップ】 【政治・行政】 【子育て支援】